ボクシング名試合
WBC世界ストロー級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎3500人
1990年2月7日
★挑戦者7位
大橋秀行
(ヨネクラ)47.6キロ
KO9回2分11秒
★チャンピオン
崔 漸換
レフェリー
ルー・フィリポ(USA)
大橋
13勝(9KO)3敗
タイトル獲得
崔
20勝(9KO)3敗
〔大橋〕
マーキュリオ (AUS)・9・・9・・・ |78
ジェンキン (USA)・9・・・・・9 |78
チェバリア (MEX)・9・・・・・・ |79
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
チェバリア (MEX)・・999999 |74
ジェンキン (USA)9・99999・ |74
マーキュリオ (AUS)9・99・999 |74
戦慄の左ポディブロ一で
世界挑戦連敗にストップ
「150年に一人」と謳われた大橋も、これまで2度世界挑戦でいずれもTKO負け。3度目の正直とともに、日本の世界戦連敗21の不名誉な記録のストップもかけられた。前年、日本でもお馴染みのナパを下して王座に就いた崔は、スピーディーなパンチで大橋を苦しめ、5回までは一進一退の攻防が続いた。しかし、6回後半から大橋が得意の右カウンターを次々に決めて優位に立つ。
7回には右の相打ちで大橋の足元が揺らぐ場面もあったが、的確なコンビネーションで反撃。両目の上をコブのように腫れ上がらせた王者は明らかにスローダウン。大橋のシャープな右は止まらない。9回に右ストレートでチャンスをつかんだ大橋は、右アッパーから左ボディブローでダウンを奪う。立ち上がって反撃に出る王者のレバーに強烈な左フックを突き刺し、悲願の王座奪取を果たした。
WBC世界ストロー級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎3000人
1990年10月25日
★挑戦者4位
リカルド・ロペス
(メキシコ)47.1キロ
TKO5回2分00秒
★チャンピオン
大橋秀行
(ヨネクラ)47.6キロ
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
ロペス
26勝(19KO)
タイトル獲得
大橋
14勝(9KO)4敗
〔ロペス〕
スミス (USA)・・・・ |40
シーリー (USA)・・・・ |40
サンチェス (VEN)・9・・ |39
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
サンチェス(VEN)9・98 |36
シーリー (USA)9998 |35
スミス (USA)9998 |35
〔大橋〕
天才強打者の行く手を遮った
鉄壁のテクニシャン
日本ボクシング界の期待を一身に背負った天才パンチャー大橋が迎える2度目の防衛戦。挑戦者はメキシコの名伯楽クーヨ・エルナンデスが「私の最後の最高傑作」と誇るロペスである。初回、大橋の右フックがロペスのテンプルにヒット。一瞬、ロペスの動きが止まり、場内が沸く。しかし、これがかえってロペスのポテンシャルを全開にさせてしまう。打ち合っては王者のぺ一スに巻き込まれると判断した挑戦者が足を使い始めたのだ。
2回以降、大橋はロペスの鋭い左ジャブに翻弄されてまったく手が出なくなり、4回に右ストレートを浴びてダウン。挑戦者は王者に立ち直る余地を与えず5回に右ストレート、左フックで2度のダウンを奪い、ストップに追い込んだ。「上には上がいるもの」。ロペスの段違いのスピードとテクニックの前に大橋は為す術もなく敗れ去った。
WBA世界ミニマム級タイトルマッチ
パシフィコ横浜[神奈川県]観衆◎3000人
2000年12月6日
★挑戦者12位
星野敬太郎
(花形)47.6キロ
判定
★チャンピオン
ガンボア小泉
(フィリピン)47.4キロ
レフェリー
エンゾ・モンテロ(VEN)
星野
21勝(5KO)6敗
タイトル獲得
ガンボア
29勝(20KO)6敗1分
〔星野〕
柳 (KOR)・・・9・・・・99・・|117
手崎 (JPN)・99・・・・・999・|115
原田 (JPN)・99・・・・・999・|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
原田 (JPN)9・・99999・・・9|113
手崎 (JPN)9・・99999・・・9|113
柳 (KOR)999.9999.。。9|112
〔ガンポア〕
強打をテクニックで封じ
初挑戦の31歳で戴冠
チャレンジャーの星野は立ち上がりから冷静だった。ガンボアの強打を堅いガードで受け止め、アッパー、ボディブローを交えた多彩なパンチを繰り出していく。ガンボアもパワ一て対抗するが、その動きは本調子といえず、星野の攻撃を止めることができない。
5回からは挑戦者がポイントを連取し、7回には星野の会心の左フックがガンボアの顔面にヒット。追撃の右も決まり、星野の優勢が印象づけられる。ガンボアも9回から反撃に転じ、左ストレート、右アッパーを決める。10,11回もガンボアのスパートは続いたが、最終回なると星野がクロスゲームを察して奮起。結果的にはこの12回の攻勢がものをいい、星野が初奪取の最高齢記録となる31歳で世界の頂点に。所属する花形ジムの花形進会長も元世界王者で、日本初の師弟世界王者という快挙だった。
WBA世界ミニマム級タイトルマッチ
パシフィコ横浜[神奈川県]観衆◎3000人
2001年8月25日
★挑戦者9位
荒井田 豊
(横浜光)46.9キロ
判定
★チャンピオン
チャナ・ポー・パオイン
(タイ)47.6キロ
レフェリー
スティーブースモーガー(USA)
新井田
14勝(7KO)3分
タイトル獲得
チャナ
44勝(16KO)2敗2分
〔新井田〕
ミルハム (AUS)9・・・・・99・・・9|116
アバインザ (PHI)・・・・・99・・・99|116
文 (KOR)・9・・・9・9・・・9|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
文 (KOR)9・・99・・・9・9・|115
アバインザ (PHI)999・9・・999・・|113
ミルハム (AUS)・999・9・・999・|113
〔チャナ〕
台頭してきた無敗の俊英
ペテランを下して王座獲得
16戦無敗のレコードをマークする22歳の新井田が、35歳のベテラン、チャナとの技術戦を制してタイトル奪取に成功した。試合は序盤から緊迫した駆け引きとなり、両者が中間距離で断続的にパンチを交換。スピード感、パンチの切れでは新井田が勝っていたが、チャナも多彩な攻撃でチャンピオンの意地を見せる。5回には新井田が左フックをクリーンヒットさせるが、7回からは王者が精力的なアタックで対抗。しかし、9回以降は新井田がタイミングのいい左フックと右ストレートを披露し続けた。最終回になるとチャナがスパートをかけ、左フックでチャレンジャーを攻め立てたが、新井田がそれまでのリードを守りきり、3-0の判定をものにした。チャナは星野敬太郎から奪った王座の初防衛に失敗。2ヵ月後、新井田は王者のまま突然、引退宣言をして王座を返上した。
WBA世界ミニマム級王座決定戦
パシフィコ横浜[神奈川県]観衆◎3000人
2002年1月29日
★同級2位
星野敬太郎
(花形)47.6キロ
判定
★同級3位
ガンボア小泉
(フィリピン)47.4キロ
レフェリー
ピニット・プラヤドサブ(THA)
星野
23勝(6KO)7敗
タイトル獲得
ガンボア
31勝(22KO)7敗1分
〔星野〕
柳 (KOR)・・9・・・・・9・・・|118
レグランド (FRA)・・・・9・・・9・・・|118
メロネン (FIN)・9・9・・・・9・・・|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メロネン (FIN)9・9・9999・99・|112
レグランド (FRA)9999・999・999|110
柳 (KOR)9・・99999・99・|112
〔ガンボア〕
冴えわたる技巧
鮮やかに王座返り咲き
新井田の返上で空位となった王座を、元王者同士で争った。2000年12月、星野は当時王者だったガンボアからタイトルを奪っている。雪辱を期するガンボアは、スタートから積極的に攻めて出た。しかし、星野は堅いガードと柔軟なデイフェンスでクリーンヒットを許さない。逆に左ジャブでガンボアの機先を制していく。3回、ガンボアが攻勢を強めてきた。4回もガンボアが左ジャブでプレッシャーをかけてくる。
しかし、星野はこれを冷静にやり過ごし、5回から本格的な攻撃に移った。相手の出鼻に左ジャブを決め、すかさずサイドに回り込んでは左ボデイブロー。ガンボアのパンチを鮮やかにかわしてのカウンターも冴える。8回にはコンビネーションでガンボアをKO寸前にまで追い込んだ。終盤戦も星野が優位に立ったまま試合終了のゴングを迎えている。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
山梨学院大学体育館[山梨県]観衆◎7000人
1976年10月10日
★挑戦者10位
具志堅用高
(協栄)48.6キロ
KO7回0分32秒
★チャンピオン
ファン・ホセ・グスマン
(ドミニカ)48.5キロ
レフェリー
ルディ・オルテガ(USA)
具志堅
9勝(6KO)
タイトル獲得
グスマン
21勝(15KO)2敗
〔具志堅〕
森田 (JPN)・・4・・・ |29
ラモス (PUR)・・4・・・ |29
オルテガ (USA)・・4・・・ |29
①②③4⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
オルテガ (USA)43・444 |24
ラモス (PUR)43・4・4 |25
森田 (JPN)42・344 |22
最速9戦目の挑戦
鮮烈な時代の幕開け
強打のグスマンに対し、サウスポーの具志堅はスタートからぐんぐん攻めた。2回、挑戦者は右フックでグスマンの腰を落とし、左右連打から左ストレートをヒットしてダウンを奪った。再開後、グスマンは右ストレートで応戦するが、具志堅の右フックで再びダウン。しかし、これはゴング後という主審の裁定で正当なダウンとみなされなかった。
3回には危ない場面もあったが、4回には左ストレートでグスマンを前のめりにダウンさせる。5,6回も具志堅は再三、グスマン
をグロッギーに陥れた。そして7回、左ボディ・ストレートでグスマンをロープに詰めると、具志堅は左フックから右をフォローして倒し、ついに10カウントを聞かせた。故・金平正紀会長が「100年に一人の天才」と吹聴していた無名の若者が、世界の「カンムリワシ」として羽ばたいた瞬間だった。
WBA世界ジュニアーフライ級タイトルマッチ
日本武道館[東京都]観衆◎1万1000人
1977年1月30日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.5キロ
判定
★挑戦者2位
ハイメ・リオス
(パナマ)48.1キロ
レフェリー
ルディ・オルテガ(USA)
具志堅
10勝(6KO)
初防衛
リオス
17勝(8KO)3敗1分
〔具志堅〕
吉田 (JPN)・・3・・・・・・・・・・・・|73
ヒル (PAN)443・・3・・33・・3・・|67
オルテガ (USA)・43・・・・・・・4・・4・|70
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
オルテガ (USA)4・・4・・4・44・44・4|67
ヒル (PAN)・・・・4・・4・・4・・4・|71
吉田 (JPN)4・・4・4・44・44・4・|67
〔リオス〕
ダウン挽回の苦しい初防衛戦
長期政権への第1歩
右ジャブを飛ばすサウスポーの具志堅に、変則的な元王者リオスはいきなりの右フック、右ストレートを放っていく。そしてこの右フックで、リオスは3回にダウンを奪った。タイミングだけのパンチで思わず尻もちをついただけで、具志堅のダメージは浅い。再開後すぐさま具志堅は反撃に転じ、4回にはボディにパンチを集中してぺ一スを奪い返した。
その後も初防衛戦の具志堅は左右アッパーを中心によく打ち合い、リオスも右で対抗する。しかし、パワーで勝る具志堅が以降も優位に試合を進めていった。
終盤に入ると、リオスの手数が減り始め、いよいよ具志堅のぺ一スは明らかになっていく。14回、具志堅は左右連打を顔面、ボディに打ち分けて猛攻を仕掛ける。最終15回はリオスもよく打ち合い、左右フックを応酬したが、具志堅の優勢は動かなかった。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
真駒内スケート場[北海道]観衆◎5000人
1977年5月22日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
判定
★挑戦者2位
リゴベルト・マルカノ
(ベネズエラ)48.4キロ
レフェリー
マーチン・デンキン(USA)
具志堅
11勝(6KO)
2度目の防衛
マルカノ
16勝(9KO)3敗
〔具志堅〕
森田 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|75
ゴンザレス(VEN)4・4・44・・・・44・4・|68
デンキン (USA)・4・・・4・・・4・4・4・|70
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
デンキン (USA)4・44・・4・・・4・・・4|69
ゴンザレス(VEN)・・・4・・4・4・・・・・・|72
森田 (JPN)・4・4・・44444・・・4|67
パワーで圧倒
挑戦者に波状攻撃浴びせる
2度目の防衛戦となる具志堅は、スタートから積極的に前へ出ていく。堅実なボクサー・パンチャーのマルカノは右ストレートで迎え撃つ。2、3回もマルカノは素早いフットワークからカウンターを狙う。具志堅は有効打を奪えず、攻めあぐねた。
しかし4回あたりから、サウスポーの具志堅が徐々に流れを引き寄せる。ジャブとフットワークで丁寧に戦うマルカノに、具志堅は波状攻撃を仕掛ける。具志堅は左ストレートを再三ヒット。マルカノも下がりながら右ストレートを返すが、威力に乏しい。具志堅は大振りもあったものの、パワーでマルカノを圧倒した。
14回はマルカノも左右フックで打ち合って攻勢に出た。だが最終15回、再び具志堅が挑戦者を追う展開となり、左ストレートでマルカノの顎を跳ね上げた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
別府市湿泉プール[大分県]観衆◎5600人
1977年10月9日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
KO4回2分17秒
★挑戦者10位
モンシャム・ホー・マハチャイ
(タイ)48.5キロ
レフェリー
吉田勇作(JPN)
具志堅
12勝(7KO)
3厘目の防衛
モンシャム
23勝(13KO)3敗
〔具志堅〕
ヴィラワット (THA)・・・ |15
桑田 (JPN)・・・ |15
吉田 (JPN)・・・ |15
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
吉田 (JPN)・44 |13
桑田 (JPN)4・4 |13
ヴィラワット (THA)・44 |13
〔モンシャム〕
ポディから攻め上げ
最後は10カウント
戦力不詳の挑戦者を相手に、具志堅は右ボディ・ストレートから攻勢に出て、初回から積極的なスタートを切った。2回になると、王者と同じサウスポーのモンシャムも左ストレートから右フックで打って出るが、具志堅は冷静に対処。左ボディ・アッパー、右フック、ワンツーと次々とパンチを決めていった。
3回も具志堅が挑戦者を圧倒する。捨て身で打ち合ってくるモンシャムに、具志堅は左フックをカウンターし、右をボディ、顔面へと叩きつけた。
4回、具志堅はまずボディに右フック、左アッパーを集めておいて、顔面にも右フック、左ストレートを打ち込んだ。この攻撃でモンシャムの体が倒れかけたところに、具志堅は右フックをフォロー。ロープ際にダウンして、仰向けに寝転がったモンシャムに、レフェリーは10カウントを数え上げた。
WBA世界ジュニアーフライ級タイトルマッチ
愛知県体育館[愛知県]観衆◎1万人
1978年1月29日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.6キロ
K014回0分27秒
★挑戦者6位
アナセト・バルガス
(フィリピン)48.5キロ
レフェリー
加藤正男(JPN)
具志堅
13勝(8KO)
4度目の防衛
バルガス
27勝(6KO)7敗
不調の王看に切れ味なし
終盤に連打でやっと決着
ハワイをべ一スに戦ってきたバルガスは、格下と思われたが、この日の具志堅はいつもの切れがなく、意外に手こずることになる。2回は具志堅が前へ出て、左構えから右ボディ・フックを決め、試合が動き出したかに見えたが、バルガスのカウンター作戦と、クリンチに攻めあぐむ。その後は大きなヤマ場のないまま、両者はラウンドを重ねた。
しかし9回、具志堅が右のリードパンチからフックヘとつなげ、左ボディブローも打って攻勢に出た。グロッギーに陥ったバルガスに、具志堅は追撃を続け、10回、11回とスタンディング・カウントを奪った。具志堅は終盤戦を一方的に戦いながらもトーンダウンし、12回にはバルガスが反撃する場面も。13回、具志堅はボディブローで三たび立ったままカウントを聞かせ、そして14回に連打を見舞うと、バルガスはキャンバスに崩れ落ちた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
広島県立体育館[広島県]観衆◎6000人
1978年5月7日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.9キロ
KO13回2分59秒
★ハイメ・リオス
(パナマ)48.6キロ
レフェリー
エルネスト・マガニャ
(MEX)
具志堅
14勝(9KO)
5度目の防衛
リオス
20勝(10KO)4敗1分
〔具志堅〕
ヒル (PAN)・99・・9・・・9・・ |116
吉田 (JPN)・・9・・・・・・・・・ |119
マガニャ (MEX)・・・・・・・・・9・・ |119
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
マガニャ (MEX)99・999799・・・ |110
吉田 (JPN)9・・99・899・・・ |113
ヒル (PAN)・・・99・8・・・・9 |115
打たれながらも粘る挑戦者を
ラッシュで仕図める
初防衛戦で大苦戦を強いられた前王者リオスとの再戦で、具志堅はたくましく成長した姿を見せつけた。初回、ボクサー型のリオスが足を止めて打ち合った。5度目の防衛戦になる具志堅は左構えからの左ストレート、右フックをヒット。リオスも右ストレートをカウンターする。
打ち合いは2回、3回と続いた。具志堅は左でリオスを攻め立て、一方のリオスも右で対抗。4回から志堅はボディに狙いを絞る。7回には具志堅の両目が腫れ始めた。だがこの回、具志堅は右フックでダウンを奪った。
具志堅はこの後もボディを攻め、9回にはワンツーでダウン寸前に追い詰める。だが10回には、リオスもコーナーに詰まりながら右ストレートを再三ヒットし、激しく抵抗した。迎えた13回、具志堅が右カウンターからラッシュを仕掛けてついに試合を終わらせた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
蔵前国技館[東京都]観衆◎1万2000人
1978年10月15日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
KO5回0分22秒
★挑戦者4位
鄭 相一
(韓国)48.7キロ
レフェリー
森田健(JPN)
具志堅
16脇(11KO)
6度目の防衛
鄭
9勝(2KO)3敗2分
〔具志堅〕
内田 (JPN)・・・・ |40
ポップ (USA)・・・・ |40
森田 (JPN)・・・・ |40
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
森田 (JPN)9998 |35
ポップ (USA)9988 |34
内田 (JPN)9988 |34
立ち上がりから圧倒
自在なパンチでノックアウト
開始直後から具志堅は、非力な東洋太平洋王者・鄭にロープを背負わせる。スピードのあるリードブローを次々と叩きつけ、鄭の顔は早くも紅潮した。2回、右ストレートを打ち返してくる鄭に、具志堅は左構えからカウンターの左アッパーをボディに打ち込み、さらには顔面への左アッパー、左ボディ・ストレートを自在に打ち込んで攻勢を強めた。
4回、鄭のクリンチを振りほどいて、具志堅は右フックを決める。鄭の左目上が切れ、ドクター・チェックとなるが、試合は続行。具志堅は左ストレートをボディ、顎へと打ち込んでロープに追い込み、ラウンド終了間際に、右フックでダウンを奪った。
5回、具志堅が左から右フックを顎に打つと、鄭は後ずさりしてダウン。鄭は立ち上がったものの続行する余力はなく、そのまま10カウントを聞いた。具志堅は6度目の防衛。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
川崎市体育館[神奈川県]観衆◎6000人
1979年1月7日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
KO7回0分36秒
★挑戦者1位
リゴベルト・マルカノ
(ベネズエラ)48.5キロ
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
具志堅
17勝(12KO)
7度目の防衛
マルカノ
19勝(11KO)4敗
〔具志堅〕
吉田 (JPN)・・・・・・ |60
ビソ (VEN)9・9・9・ |57
ペレス (USA)・・・・・・ |60
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ペレス (USA)・99998 |54
ビソ (VEN)・・・・・9 |59
吉田 (JPN)9999・8 |54
〔マルカノ〕
ハイテンポな打撃戦
KOで日本新記録V7を違成
マルカノは2年前とはうって変わってアウトボクシングを捨て、気迫で具志堅に向かってきた。だが、この日の具志堅の出来は万全だった。マルカノの右ストレートを具志堅はしっかりとブロック。左構えから右フックをカウンター、マルカノをひるませる。
続く3回もパンチの応酬は続く。マルカノはさらに圧力を強めて打ち合いを挑み、2回終盤にはともに一歩も引かないハイテンポの打撃戦が展開された。
4回、ついに具志堅が左ストレートでマルカノをフラつかせた。そして6回には、具志堅がワンツー、右フック、右アッパーと次々にパンチを打ち込んで、マルカノはグロッギー状態に陥る。7回、具志堅が右フックから左ストレートをヒット。この一一撃でマルカノは背中からキャンバスに落ち、試合は終幕した。具志堅は日本新記録(当時)のV7を達成。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
蔵則国技館[東京都]観衆◎1万5000人
1979年4月8日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.9キロ
KO7回2分47秒
★挑戦者7位
アルフォンソ・ロペス
(パナマ)48.9キロ
レフェリー
森田健(JPN)
具志堅
18勝(13KO)
8度目の防衛
口ペス
28勝(16KO)6敗
〔具志堅〕
佐々木 (JPN)・・・9・・ |59
中森 (JPN)・・・9・・ |59
森田 (JPN)・・・9・・ |59
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
森田 (JPN)・・・・・9 |59
中森 (JPN)・・・・99 |58
佐々木 (JPN)・・・・・9 |59
〔ロペス〕
鮮やかな右フック
元フライ級王者を粉砕
元WBA世界フライ級王者の強豪、ロペスを挑戦者に迎えた8度目の防衛戦。序盤からロペスが、右ストレートで具志堅を苦しめた3回、4回とロペスは右ストレートで具志堅のバランスを崩させ、5回も右で王者の顎を跳ね上げた。
具志堅はようやく6回、左構えから左ボディ・ストレートを送り込む。この回、具志堅はバッティングで右目上をカットしながらも、右フックから左へつなげて攻勢に出た。
続く7回も具志堅は打って出た。そしてラウンド終盤、ロープ際に下がったロペスが、具志堅の左ストレートを外しながら、右アッ
パーをカウンターしようとした瞬間、わずかに早く、具志堅の小さく返した右フックが、顎の先端を捉えていた。この一撃でロペスはキャンバスに崩れ落ち、10カウントを聞いた。具志堅は8度目の防衛を達成。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
北九州市総合体育館[福岡県]観衆◎7000人
1979年7月29日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.6キロ
判定
★挑戦者1位
ラファエル・ペドロサ
(パナマ)48.7キロ
レフェリー
ビンセント・レイノン(USA)
具志堅
19勝(13KO)
9度目の防衛
ペドロサ
15勝(14KO)3敗1分
〔具志堅〕
レケナ (VEN)・・・・・・9・・・・・99・|147
ラモス (PUR)・・・・・・・・・・・・・・・|150
レイノン (USA)・・・・・・・・・・・・・・・|150
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
レイノン (USA)99998999998999・|134
ラモス (PUR)・99999・9・9999・9|139
レケナ (VEN)・99・99・・9999・・9|141
〔ペドロサ〕
序盤から優位に立ち
危なげなくV9
序盤から優勢に試合を進める具志堅は3回、左フックからの右をヒット。ペドロサはバランスを崩し、半回転して左手をキャンバスにタッチしたが、レフェリーの裁定はスリップ。しかし具志堅はなおも連打を浴びせ、左構えからの左ボディ・アッパーをめり込ませた。
その後も具志堅の攻勢は続く。長身のペドロサはいきなりの右ストレートを放っていくが、王者のスピーディーな攻めの前に守勢に回る場面が多かった。
終盤の12回には、ペドロサも打ち気を見せたものの、具志堅は下がりながら左右ボディブローをヒットする。14回もペドロサは前へ出るが、チャンピオンは右フック、左アッパーで迎え撃った。最終15回もペドロサは前へ出た。しかし、具志堅が左から右フックをヒットしてペドロサの反撃を押さえ込み、危なげのない判定勝ちを収めた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
蔵前国技館[東京都]観衆◎1万人
1979年10月28日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.9キロ
KO7回0分53秒
★挑戦者10位
チト・アベラ
(フィィピン)48.6キロ
レフェリー
手崎弘行(JPN)
具志堅
20勝(14KO)
10度目の防衛
アベラ
15勝(7KO)7敗
〔具志堅〕
島川 (JPN)・・・・・・ |60
イニゴ (PHI)・・・・・・ |60
手崎 (JPN)・・・・・・ |60
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
手崎 (JPN)899989 |52
イニゴ (PHI)899・8・ |54
島川 (JPN)898・89 |52
〔アベラ〕
4度のダウンを奪い
防衛回数を二桁に
V10戦を迎えた具志堅は、無名の“一発屋”に左フックで早くも初回にダウンを与えた。2回も具志堅は左構えから右フック、そして右から左のコンビネーションで攻め込んでいく。3回には、左ボディブローからの3連打で2度目のダウンを奪った。アベラは右のカウンターで抵抗するが、具志堅は5回にも、左ストレートでまたダウンを追加する。
6回、具志堅はアベラをロープに詰めてラッシュし、左ストレートを打ち込む。アベラも左フックをカウンターし、右ストレートを顔面にヒットして粘るが、王者の優勢は変わらない。そして続く7回、具志堅がボデイに連打を見舞い、接近して左右アッパー、左のダブル・パンチ、そして最後は右アッパーを突き上げると万事休す。4度目のダウンを喫したアベラは、キャンバスにうつ伏せになったまま、起き上がることができなかった。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎1万2000人
1980年1月27日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.7キロ
判定
★挑戦者7位
金 龍鉉
(韓国)48.7キロ
レフェリー
ボール・フィールド(∪SA)
具志堅
21勝(14KO)
11度目の防衛
金
12勝(3KO)5敗3分
〔具志堅〕
久留米 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|150
趙 (KOR)・・・・9・9・・・・・・・・|148
フィールド (USA)・・・・・・9・・・・・・・・|149
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
フィールド (USA)・・9・99・9998・9・・|141
趙 (KOR)・・9・・・・99・8・9・・|144
久留米 (JPN)・・99・9・999899・・|140
〔金〕
果敢な挑戦者の攻撃
激しい打ち合いを制す
東洋太平洋王者の金は左ロング・フック、いきなりの右フックをヒットして攻めてくる。3回、具志堅はフットワークを使って右に回りながら、左構えからの右ジャブ、右ボディブローを放つ。そして、4回にはボディも攻め立てた。だが、金も右フックで抵抗し、王者を守勢に回らせる場面も作り出した。
激しい打ち合いとなった7回、金は鼻血を出しながらも右フックで具志堅をフラつかせる。すぐさま具志堅も、ワンツーから右フックを切り返したが、再び金が左フックで攻め返した。その後も盛んに両者は打ち合い、10回に具志堅はバッティングで左眉をカット。しかし、タフな金の勇敢さと右フックに悩まされながらも、具志堅は常に優勢に試合を進めた。そして、終盤はアウトボクシングに切り替え、ワンツー・ストレートを中心にポイントを奪い取っていった。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
高知県民体育館[高知県]観衆◎6000人
1980年6月1日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
KO8回1分42秒
★挑戦者1位
マルチン・バルガス
(チリ)48.8キロ
レフェリー
ラリー・ハザード(USA)
具志堅
22勝(15KO)
12度目の防衛
バルガス
59勝(38KO)6敗3分
〔具志堅〕
ペレス (PAN)・・・・・・・ |70
トレマリ (USA)・・・・・・・ |70
ハザード (USA)・・・・・・・ |70
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ハザード (USA)9999899 |62
トレマリ (USA)9988888 |58
ペレス (PAN)9999899 |62
〔バルガス〕
フライ級からの刺客を倒し
12度防衛の新記録違成
フ ライ級で3度、世界に挑んでいる強豪バルガスも、具志堅の敵ではなかった。この試合で12度目の防衛を果たし、このクラスで当時の最多防衛記録を打ち立てた具志堅が、強すぎたのだ。試合は戦前に具志堅陣営が描いた青写真通りに展開し、終了した。
初回からバルガスの大振りパンチが空を切り、サウスポー具志堅の左ストレートがヒットする。2回にはワンツーを空振りするバルガスに、右のフック。さらにボディ攻撃まで冴え渡る。そこからはカンムリワシのバトル・ショーだった。右に左にバルガスの肉体を具志堅の拳が痛めつける。5回に左ストレートで初のダウンを、8回に同じパンチで2度目のダウンを奪う。最後はラッシュにさらされたバルガスがロープの間から落ちそうになり、主審が試合を止めた。歴戦の猛者も具志堅の前では引き立て役に過ぎなかった。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
金沢市実践倫埋会館[石川県]観衆◎8000人
1980年10月12日
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.7キロ
判定
★挑戦者4位
ペドロ・フローレス
(メキシコ)48.8キロ
レフェリー
ビンセント・レイノン(USA)
具志堅
23勝(15KO)
13度目の防衛
フローレス
14勝(3KO)6敗
〔具志堅〕
加藤 (JPN)・・・99・・・9・・9・・・|146
ロドリゲス(MEX)・・・・9・・・9・9・・・9|146
レイノン (USA)・・・・9・・・9・99・・・|146
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
レイノン (USA)9989・999・・・・9・9|140
ロドリゲス(MEX)・・8・・・99・・・・9・・|145
加藤 (JPN)・・⑧・・99・・・・・899|142
〔フローレス〕
苦闘の末につかんだ
V13の金字塔
13度目の防衛戦は、王者が気力で苦戦を勝ちにつなげた。珍しく試合後に変形した具志堅の顔を見れば、この試合がいかに苦しいものであったかがわかる。出だしはいつも通りの、強い具志堅だった。3回には挑戦者のテンプルに右フックをめり込ませてダウンを奪う。会場は早くも王者のKO防衛を予感した。
しかし、元サッカー選手だったフローレスの、脚力にものをいわせたしつこい攻撃に具志堅は手を焼く。4,5回とフローレスの右ストレートがよく伸び、具志堅は左ストレートで応戦。だが、流れは徐々に挑戦者へと傾いていく。中盤からは互角の攻防が続き、9回から動きの鈍った具志堅を、挑戦者が12回にロープに詰めて連打。具志堅の敗北さえ予想される展開。しかし、王者も土壇場で意地を見せる。13回の打ち合いを制し、判定で国内の最多防衛記録を樹立した。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
具志川市総合体育館[沖縄県]観衆◎1万人
1981年3月8日
★挑戦者4位
ペドロ・フローレス
(メキシコ)48.8キロ
KO12回1分45秒
★チャンピオン
具志堅用高
(協栄)48.8キロ
レフェリー
スティーブ・クロッソン(USA)
フローレス
15勝(4KO)6敗
タイトル獲得
具志堅
23勝(15KO)1敗
故郷・沖縄のリングに散り
カンムリワシ時代に幕
ついにカンムリワシが翼をもがれた瞬間だった。具志堅が初めて行う沖縄での防衛戦。“ふるさと決戦”を郷里の熱い声援が盛り上げ、
チャンピオンの序盤は好調だった。しかし、前回は判定で涙をのみ後がない30歳のフローレスは、日本の英雄を苦しめる。具志堅は打ち疲れてきた5回、右フック、左ボディ・アッパーでプレッシャーをかけられ後退し始める。チャレンジャーのパンチが的を捉えるようになった7回、チャンピオンもまた顔面ヘボディヘと左アッパーをねじ込み、意地を見せる。ところが8回、具志堅は左右フックを浴びてダウン。負けじと反撃するが、フローレスの連打を止められない。12回、王者は右ストレートで2度目のダウンを喫し、立ち上がったところへ豪雨のような左右フックに追撃される。このとき、赤コーナーからタオルが舞った。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
宮城県スポーツセンター[宮城県]観衆◎5000人
1981年12月16日
★挑戦者2位
渡嘉敷勝男
(協栄)48.8キロ
判定
★チャンピオン
金 燗?珍
(韓国)48.7キロ
レフェリー
ワルデマール・シュミット
(PUR)
渡嘉敷
14勝(2KO)1敗1分
タイトル獲得
金
20勝(8KO)1敗2分
〔渡嘉敷〕
ハセット (USA)・・・・・・・・・・・・9・・|149
ヒル (PAN)・・・・・・・・・・・・・・9|149
シュミット (PUR)・・・・・・・・・・9・9・・|148
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
シュミット (PUR)99999・9999・・・9・|140
ヒル (PAN)999999・999・9・9・|139
ハセット (USA)999999999999・99|136
〔金〕
ノンストップの連打で
偉大な先輩の王座を継承
ジムの先輩である具志堅が9ヵ月前に持ち去られたベルトを、渡嘉敷が奪い返した。若さに任せた渡嘉敷の持ち前の闘争心が導いた勝利だった。走り込みを十分行って臨んだ初挑戦の渡嘉敷は、初回から果敢に飛ばす。左ジャブ、左右のフックが切れ、スピードも申し分ない。渡嘉敷は3回から俄然勢いに乗り、左右のパンチを効果的に上下に打ち分けた。
中盤の7回、金もチャンピオンの意地を見せ、フック、フックで連打する。しかし、渡嘉敷の王座への執念は凄まじく、具志堅を葬ったフローレスを打ち負かした金の激しい闘志を、真正面から迎え撃つ。13回、ポイントで負けている金は、鬼の形相で前進し、打ち下ろしの右フックをヒットさせた。だが14回、中央での応酬は、スタミナの尽きない渡嘉敷が怒濤の連打で打ち勝つ。最後まで休まず攻めた渡嘉敷に3-0の判定が下った。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
蔵前国技館[東京都]観衆◎6000人
1982年7月7日
★チャンピオン
渡嘉敷勝男
(協栄)48.9キロ
KO8回2分35秒
★挑戦者9位
井波政春
(東海カワイ)48.9キロ
レフェリー
ポール・フィールド(USA)
渡嘉敷
16勝(3KO)1敗1分
2度目の防衛
伊波
18勝(4KO)2敗1分
〔渡嘉敷〕
桑田 (JPN)・・・・・・・ |70
森田 (JPN)・・・・・・・ |70
フィールド(USA)・・・・9・・ |69
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
フィールド(USA)・99・・99 |66
森田 (JPN)・99・・9・ |67
桑田 (JPN)999・・9・ |66
〔井波〕
豪快に右アッパーで決着
日本人対決は王者が圧勝
日本人同士のスピード対決は、渡嘉敷の会心のKOで決まった。スタートから機敏なステップで左を交換する両者。挑戦者のパンチも軽快に仲び、王者を攻める。だが6回、渡嘉敷が右ストレートで伊波の顔面をのけぞらせ、さらに右3発を追撃してピンチに追い込む。その後の接近戦で伊波は右目上をカット。そして渡嘉敷は8回に勝負をかけた。
ゴングと同時に左フック、右ストレート、左フックを伊波の顔面に食い込ませる。ロープを背負った挑戦者に右アッパーで詰め寄り、その腰を一瞬揺らした。が、伊波も執念の左ストレートで反撃し、さらに連打を返す。今度は渡嘉敷がよろけた。しかし、動きの止まった伊波の一瞬の隙をついて、渡嘉敷の強烈な右アッパーが炸裂。ついにダウンを奪う。2度目のダウンは左のパンチ。この後、渡嘉敷は猛然とラッシュし、主審が試合を止めた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎3200人
1982年10月10日
★チャンピオン
渡嘉敷勝男
(協栄)48.9キロ
判定
★挑戦者1位
金 成南
レフェリー
ネート・モーガン(USA)
渡嘉敷
17勝(3KO)1敗1分
3度目の防衛
金
20勝(12KO)4敗
〔渡嘉敷〕
フェラーラ (USA)・・9・・・9・・・9・・・・|147
ケラハー (USA)・・・9・・9・9・・・・・・|147
モーガン (USA)・・・9・・999・・・・・・|146
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
モーガン (USA)・99・99・・・999999|140
ケラハー (USA)・9・・99・・・9・99・9|143
フェラーラ (USA)・9・999・・99・999・|141
〔金〕
難なくV3をクリア
無尽蔵のスタミナで1位を圧倒
脂の乗りきった渡嘉敷が、得意の乱打戦に持ち込んで3度目の防衛に成功した。両者警戒しながらの立ち上がりは、渡嘉敷の右ストレートが若干勝っていた。4回、サウスポーの金が繰り出す右フックがチャンピオンにヒット。渡嘉敷も反撃して金にマウスピースを吐かせるが、左フックで逆襲されピンチに立つ。中盤は金の左ブローと渡嘉敷の右ストレートが交錯し、ぺ一スの奪い合いに終始した。
12回からはチャンピオンが豊富なスタミナを発揮。右ストレート、左フックで組み立てた連打で金を後退させる。13回、リズムをつかんだ渡嘉敷が右のブローで挑戦者の動きを止める。14回、金の反撃でチャンピオンがグラづく場面もあった。しかし、渡嘉敷は右を返して後続打を寸断。最終回も前進してきた金に、右ストレートを浴びせて終了のゴングを迎えた。
WBA世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
京都府立体育館[京都府]観衆◎1万人
1983年1月9日
★チャンピオン
渡嘉敷勝男
(協栄)48.9キロ
判定
★チャンピオン
金 燗?珍
(韓国)48.8キロ
レフェリー
カルロス・ベロカル(PAN)
渡嘉敷
18勝(3KO)1敗1分
4度目の防衛
金
22勝(8KO)2敗2分
〔渡嘉敷〕
ビラロボス (PAN)・・・・・・・9・・・・・・・|149
ロドリゲス (VEN)・・・・・・9・・・・・9・・|148
ベロカル (PAN)・9・9・・・・・・・・・・・|148
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ベロカル (PAN)・・・・999999・9・・・|143
ロドリゲス (VEN)・・9・99・・9999・99|141
ビラロボス (PAN)・・9・99・・999・・99|142
〔金〕
前王者との同戦を制し
大着判定で4度目の防衛
渡嘉敷が前チャンピオンの金を大差の判定で下し、王者の力を証明した。3回までは強烈なフックで襲いかかってくる金の前に、渡嘉敷が左ジャブでリズムを保つ展開が続いた、4回、渡嘉敷は金の仕掛けた打ち合いに応じ、足を止めてのフック合戦に突入する。パンチの正確性で上回るチャンピオンがぺ一スを次第に引き寄せ、8回に左の連射砲からの右アッパーをヒット。一方、王座奪回に燃える金もコンビネーションで応戦し、王者をグラつかせる場面を作った。
しかし10回、渡嘉敷が勝負をかけて出る。反撃を試みる挑戦者に、右アッパーを有効に決めてダウン寸前に陥れる。11回は乱打戦がラウンドの大半を占めた。王者が連打で金のバランスを奪い、試合終了までスタミナで挑戦者を押しまくる。そんな中でもパンチは正確だった。
世界フライ級タイトルマッチ
後楽園球場[東京都]観衆◎3万5000人
1953年10月27日
★チャンピオン
白井義男
(シライ)50.2キロ
判定
★挑戦者3位
テリー・アレン
(英国)50.8キロ
レフェリー
伊藤勇(JPN)
白井
45勝(20KO)6敗1分
3度目の防衛
アレン
61勝(18KO)12敗1分
〔白井〕
石渡戸 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|150
林 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|150
伊藤 (JPN)・・・・・・9・・・・・・・・|149
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
伊藤 (JPN)・・・988・99・・9888|136
林 (JPN)・9・898・9・・・8898|136
石渡戸 (JPN)・・99・9・9・・・9988|140
〔アレン〕
的確な右ストレートで
元世界王者を撃退
元フライ級王者アレンの技巧は評価が高く、接戦が予想された。試合前から緊張感が漂い、高度なテクニックの応酬が期待された、しかし、初回、アレンはフットワークを使うのはいいのだが、どちらかというと逃げの印象が強かった。クリンチも目立ち、再三、レフェリーの注意を受けた。そんな展開の中で、白井は冷静だった。随所で得意の右ストレートを決め、アレンを攻め立てた。白井は拙戦に終わったカンポ戦とうって変わって、この夜はスピーディーな動きを見せる。
13回、白井が絶好のKOチャンスをつかんだ。右ストレートを見事なカウンターで決め、大きくグラつかせた。アレンは立っているのがやっとだったが、白井の詰めも甘く、ダウンは逃した。判定は文句なしで白井を支持していだが、アレンは「こんなひどい地元判定はないと不満を口にした。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎7000人
1970年10月22日
★挑戦者1位
大場政夫
(帝拳)50.8キロ
KO13回2分16秒
★チャンピオン
ベルレック・チャルバンチャイ
(タイ)50.8キロ
レフェリー
エンリケ・ヒメネス(PHl)
大場
26勝(11KO)2敗1分
タイトル獲得
ベルクレック
25勝(6KO)2敗3分
〔大場〕
吉田 (JPN)・・・・・・・・・・・・ |60
ポーン (THA)・・・4・4・・・・・・ |58
ヒメネス (PHI)・・・・・・・・・・・・ |60
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ヒメネス (PHI)444・・4444444 |50
ポーン (THA)・4・・・・・44・・・ |57
吉田 (JPN)444・・・444444 |51
〔ベルクレック〕
果敢に攻め込み13回KO
名門・帝拳に初の世界王者
若武者・大場政夫が名門・帝拳にジム創設45年目にして初の世界王座をもたらした。
当日5度目の計量でようやくパスした王者に、減量失敗の影響は明らか。挑戦者は初回から積極的に出てぺ一スを握る。2回に大場の右目尻から出血すると、主審は王者の肘打ちによるものとして減点1を科す。以降、踏み込みの浅いベルクレックに、大場は速いワンツーを次々とヒットした。5回には王者が左まぶたをカット。7回からはさらに挑戦者の一方的な展開となり、タイ人に反撃の余地はない。10回には、王者の左目は傷からの出血で視界を失っているようだった。そんな状況で迎えた13回、大場が右ストレートて王者をダウン。同じパンチで2度ダウンを追加し、再開後、左右アッパーの乱打で試合を終わらせた。レフェリーがストップをかけた直後、“前”王者はキャンバスに崩れ落ちた。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎7000人
1971年4月1日
★チャンピオン
大場政夫
(帝拳)50.6キロ
判定
★挑戦者2位
ベツリオ・ゴンザレス
(ベネズエラ)50.2キロ
レフェリー
吉田勇作(JPN)
大場
28勝(12KO)2敗1分
初防衛
ゴンサレス
25勝(11KO)3敗1分
〔大場〕
羽後 (JPN)・・・・・・4・・・・4・・4|72
手崎 (JPN)・・・・・・4・4・・4・・4|71
吉田 (JPN)・・・・・・・・4・・・・44|72
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
吉田 (JPN)・4・・4・・・・44・4・・|70
手崎 (JPN)・4・44・・・・4・・4・・|70
羽後 (JPN)・4・・4・・・・4・・4・・|71
〔ゴンザレス〕
後の世界王者と白熱の激闘
判定でペルトを死守
前年10月にタイトルを獲得した大場の初防衛戦。身長162センチのゴンサレスは、小柄な体を生かした軽快な動きが持ち味で、得意の逃げ足で大場を撹乱するのではないかと予想されていた。実際、試合が始まると挑戦者がディフェンスを固め、後退しながらも柔らかいボディワークを駆使する。それを大場が追い、左、左に続いて右ストレートをゴンサレスにヒットした。
挑戦者は逃げるばかりではない。打たれれば俄然反撃に出て、右をヒットする。2回、4回は大場が右ストレートの好打でリードしたが、中盤はゴンサレスの粘り強い攻撃を許した。大場は途中3度もサウスポーにスイッチするなど苦肉の策も見せる。しかし、13回の猛烈な打撃戦の中、大場が有効打でややリードを奪い、そのまま一進一退の熱戦を小差でつかんでいる。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎8000人
★チャンピオン
大場政夫
(帝拳)50.6キロ
判定
★挑戦者4位
花形 進
(横浜協栄)50.6キロ
レフェリー
手崎弘行(JPN)
大場
32勝(13KO)2敗1分
3度目の防衛
花形
34勝(3KO)11敗8分
〔大場〕
森田 (JPN)4・・・・・・・4・・・4・・|72
羽後 (JPN)4・・・・・・・・・・・・・・|74
手崎 (JPN)4・・・・・4・・・4・4・・|71
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
手崎 (JPN)・・4・・・・4・4・4・・・|71
羽後 (JPN)・・4444・4・4・・・・・|69
森田 (JPN)・・444・・4・4・4・・4|68
〔花形〕
激闘の国内ライバル戦は
王者が判定で雪辱
67年の沼田対小林戦に続く日本人同士による世界戦。両者は日本ランカー時代の68年に対戦、花形が判定勝ちを収めている。それにも増して、互いの憎悪に近いライバル意識で戦前から激しい舌戦を展開、大いに盛り上がった。試合は先制を狙う花形の果敢な突撃でスタート。初回に左フックで大場を棒立ちにさせ、2回にはパンチを肩に当てて大場を倒したものの、判定はスリップだった
3回に入って持ち直した大場は、4回から戦法を変更。飛び込んでくる花形をジャブ、ショート・フックで冷静にかわし、中盤は速いコンビネーションで得点を稼ぐ。8回には大場の右で花形が大きくのけぞる。9回、花形が右フックで王者をロープまで飛ばすも、後半は王者が盛り返す。終盤はまさに好打の応酬で互角の形勢のまま試合は判定に。文字通りの大激闘の末、王者の手が上げられた。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎1万人
1972年6月20日
★チャンピオン
大場政夫
(帝拳)50.8キロ
KO5回2分00秒
★挑戦者1位
オイランド・アモレス
(パナマ)50.4キロ
レフェリー
吉田勇作(JPN)
大場
33勝(14KO)2敗1分
4度目の防衛
アモレス
25勝(17KO)2敗
〔大場〕
森田 (JPN)3・・4 |17
羽後 (JPN)3・・・ |18
吉田 (JPN)3・・・ |18
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
吉田 (JPN)・334 |15
羽後 (JPN)・33・ |16
森田 (JPN)・33・ |16
〔アモレス〕
初回のダウンを挽回
“黒い弾丸”を沈めV4
ヤング・チャンピオンからたくましい王者へ、大場が大きく変貌した激闘だった。初回何秒もたたないうちから左右フックでハリケーンのように攻め立てるアモレスは左フックで大場の顎をかすめ、いきなりダウンを奪う。場内がシ一ンと静まり返るほどの衝撃。反撃に転じた大場の額に今度はアモレスの頭がぶつかり。リングには血がしたたり落ちる。
2回に入ってもアモレスは攻撃の手を緩めなかったが、大場も応戦。本来の切れのいいワンツー戻ると、左から右ストレートを打ち下ろしダウンを奪い返す。アモレスは空振りが目立ち始め、3回には“頭突き”がひどく、減点1を取られる。息詰まるような攻防の中、5回に大場は右ストレートをアモレスに突き刺し、ロープに押し込むと潭身の力を振り絞って乱打。体を折り曲げ耐えていたアモレスをついに深く沈めた。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
日本大学講堂「東京都1観衆◎1万2000人
1973年1月2日
★チャンピオン
大場政夫
(帝拳)50.6キロ
KO12回3分00秒
★挑戦者2位
チャチャイ・チオノイ
(タイ)49.5キロ
レフェリー
吉田勇作(JPN)
大場
35勝(16KO)2敗1分
5度目の防衛
チヤチャイ
60勝(38KO)16敗3分
〔大場〕
加藤 (JPN)3・・・・・4・・・・ |52
羽後 (JPN)3・・・・・・・・・・ |53
吉田 (JPN)3・・・・・・・・・・ |53
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
吉田 (JPN)・44・・443・・4 |48
羽後 (JPN)・・44・4・44・4 |49
加藤 (JPN)・・・・4・・4444 |50
〔チャチャイ〕
壮絶な最後の晴れ姿
永遠に刻まれる逆転伝説
この23日後、交通事故で突然の死に見舞われたゆえ“永遠の世界王者”となった大場の、伝説に残る壮絶な逆転KO勝利だった。元WBC王者のベテラン、チャチャイが初回に振るった右ロング・フックで大場は不覚のダウン。このとき、右足を捻った大場は以降、右足をひきずりながらも後退はしない。前へ前へと攻撃を仕掛け、中盤からぺ一スを握る。
8回には左を多用し、運打でチャチャイをロープ追い詰めるなど、一方的な展開に。そして12回、チャチャイが先手をとったものの。その直後から大場が凄まじいラッシュを開始。右ストレートでチャチャイの上体を起こし、左フックとアッパーのコンビネーションで立て続けに3度のダウンを奪った。この回、大場が放ったパンチは70発近く。死闘の末にもぎ取った執念の逆転KO勝利に日本中が沸き返った。
WBA世界フライ級タイトルマッチ
水戸市民体育館[茨城県]観衆◎7000人
1990年7月29日
★挑戦者1位
レパード玉熊
(国際)50.8キロ
TKO10回2分21秒
★チャンピオン
李 烈雨
〔韓国)50.7キロ
レフェリー
エンゾ・モンテロ(VEN)
玉熊
27勝(13KO)4敗
タイトル獲得
李
19勝(10KO)3敗
〔玉熊〕
ワトソン (USA)9・9・・・・・・ |88
トーレス (PAN)9・9・・・・・・ |88
アバインザ (PHI)・・99・・・・・ |88
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
アバインザ (PHI)・9・・99999 |84
トーレス (PAN)・・・999・99 |85
ワトソン (USA)・9・・98999 |83
〔李〕
ショート連打に磨きをかけ
再挑戦で念願成就
前年の痛恨の判定負けから、玉熊が悲願のタイトル奪取。前回、あと一押しが足らなかったという苦い経験を生かし、サウスポーの玉熊が攻めに徹した。タフ・ファイターの李は前半こそ力感あふれる左右フックを振るってきたが、玉熊は冷静にこれを対処。あえて接近戦を挑み、インサイドからのブローを刻んでいく。李がはっきりとスローダウンした6回、玉熊は左ストレートからチャンスをつかみ、左右を乱打して王者をロープに詰める。
さらに左ストレートがタイムリーに決まって李は棒立ち。その後もショート連打でダウン寸前まで追い込む。9回にも挑戦者が一方的に打ち込み、ついに10回、足元が定まらないほど疲労した王者を2度キャンバスに沈めた。7月の猛暑の中で行われた我慢比べ。終止符を打った青森の“じょっぱり”は、フライ級で8人目の日本人王者となった。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万人
★挑戦者3位
ユーリ海老原
(協栄)50.6キロ
KO8回2分59秒
★チャンピオン
ムアンチャイ・キティカセム
(タイ)50.8キロ
レフェリー
ホセ・メディナ(MEX)
ユーリ
13勝(12KO)
1タイトル獲得
ムアンチャイ
19勝(11KO)2敗
〔ユーリ〕
マクタビッシュ(NZL)・・・・9・9 |68
ペレス (USA)・9・・9・9 |67
マーキュリオ (AUS)・・・・・・9 |69
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
マーキュリオ (AUS)999999・ |64
ペレス (USA)8・99・9・ |65
マクタビッシュ(NZL)9999.9. |65
〔ムアンチャイ〕
ロシア初の世界王看
驚異の技巧でタイの俊才撃破
ペレストロイカにともなって来日、プロ入りした元アマチュア世界王者ユーリが、タイの俊才ムアンチャイを相手に世界初挑戦。ダウン応酬の技術戦を制し、旧ソ連史上初めてのプロボクシング世界王者となった。
初回終了のゴングと同時にユーリの右クロスがヒット。王者ががくりと両膝をキャンバスにつくが、レフェリーはダウンと認めず。3回、最初にダウンを奪ったのはムアンチャイの右ストレート。続いて今度はユーリがストレートから左ロング・フックでダウンを奪い返す。4回あたりからユーリの右ストレ一トが冴え始め、王者が得意とする左をことごとく潰していく。7回には王者に足を引っ掛けたユーリが尻もちをつく場面も。しかし8回、ユーリの右ショート・ストれーとが一閃すると王者はもんどり打って倒れ、ついに起き上がれなかった。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎3300人
1992年10月20日
★チャンピオン
ユーリ海老原
(協栄)50.8キロ
判定
★挑戦者4位
陳 潤彦
(韓国)50.8キロ
レフェリー
カルロス・パディーリャ(PHl)
ユーリ
14勝(12KO)
初防衛
陳
27勝(18KO)1敗
〔ユーリ〕
バルナー (AUS)・・・・・9・・9・9・|117
トーレス (MEX)・・9・・9・99・9・|115
カルタヤ (VEN)・・・・99・・9・・・|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
カルタヤ (VEN)9898・・89・999|108
トーレス (MEX)・8・9・・8・・9・9|113
バルナー (AUS)98999・89・9・9|109
〔陳〕
タフ・ファイターを3度倒すも
拳痛めてK0逸す
失神KO勝ちによる戦慄の王座獲得から4ヵ月・挑戦者の変更に加え、ユーリの右拳負傷で試合が急きょ2週問延期になる波乱含みの初防衛戦となった。しかし、それらの不安要因を微塵も感じさせず、ユーリは2回に右の打ち下ろしで最初のダウンを奪う。4回には左フックから右ストレートでダウン追加。そして7回、右ストレートを挑戦者のテンプルヘ。この日まで27戦して1度しかダウンしたことのない陳が、この試合だけで3度目のカウントを聞いた。
しかし、4回に奪ったダウンで右拳を痛めたロシアン・ヒットマンは陳にとどめを刺せなかった。タフな挑戦者は次第に調子を上げ、試合は打撃戦へ突入。判定にもつれ込んだが、3-Oでユーリの勝利。トラブルを抱えてなお沈着冷静に仕事を果たすユーリの戦闘、マシンぶりに、評価はさらに高まった。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
タイ・ナショナル・スタジアム[タイーロッブリ]観衆◎1万5000人
1993年3月20日
★チャンピオン
ユーリ海老原
(協栄)50.8キロ
TKO9回1分44秒
★挑戦者3位
ムアンチャイ・キティカセム
(タイ)50.8キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
ユーリ
15勝(13KO)
2度目の防衛
ムアンチャイ
21勝(13KO)3敗
〔ユーリ〕
ルーベンスタイン(USA)・9・・8・・・ |77
ソリス (MEX)99・・9・・9 |76
ムーア (AUS)・9・・9・・・ |78
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ムーア (AUS)・・・9・98・ |76
ソリス (MEX)・・99・98・ |75
ルーベンスタイン(USA)9・・9・98・ |75
〔ムアンチャイ〕
敵地で鮮烈TK0防衛
元王者を返り討ち
ユーリが前王者のの地元タイに乗り込んでの再戦。またも痛烈なTKOで実力の違いを見せつけた。序盤はリードブローを突いて偵察するユーリ。ウンチャイはウィービングを多用しつつ積極的に左右ストレートを送り、2回には右クロスを決める。4回、ユーリは左ジャブ、右アッパーなどを決めてテンポアップ。5回の打ち合いには正面から応じ、徐々に打ち勝っていく。
6回以降、ムアンチャイが攻勢を強めるほどにユーリは冷静に対処し、差を広げていく。空振りしながら前進する挑戦者は7回、ユーリの右ショート・フックでフラつくとワンツーを浴びてダウン。ユーリは8回、相手のボディ攻撃を意に介さず、コンビネーションで的確に迎え撃つ。そして9回、一気に攻勢をかけると強烈な右ストレートでムアンチャイを3度倒し、V2を達成した。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
神戸ワールド記念ホール[兵庫県]観衆◎7O00人
1993年7月16日
★チャンピオン
ユーリ・アルバチャコフ
(協栄)50.6キロ
判定
★挑戦者1位
イサイアス・サムディオ
(アメリカ)50.5キロ
レフェリー
ガダルペ・ガルシア(MEX)
ユーリ
16勝(13KO)
3度目の防衛
サムディオ
33勝(10KO)4敗1分
〔ユーリ〕
金 (KOR)・9・・・・9・・9・・|117
ブラウン (CAN)・9・・・・99・9・・|116
トミハラ (USA)・9・・・・9・・99・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
トミハラ (USA)9・9999・99・・9|112
ブラウン (CAN)9・99・9・・9・99|113
金 (KOR)・・999・・・9・・9|115
〔サムディオ〕
ヒット・アンド・ランに苦戦
辛うじて1位を撃退
初の米口対決としても注目されたユーリのV3戦は、シーソー・ゲームとなった。
ユーリは初回、左右へ動き回る相手を追いながら右ストレートを浅くヒットする。サムディオは逃げるだけでなく、2回には機を見て踏み込み、アッパーからストレートなどを見舞った。いつになく右のミスプローが目立つユーリは4回、右ストレートで強引に相手をロープ際へ押しやると連打。しかし、サムディオはブロッキングとクリンチで難を逃れる。試合後半に入ると、挑戦者のヒット・アンド・ラン戦法が王者をますます撹乱。左右コンビを的確にヒットしつつ、決して深追いしない。10回、ユーリは相手のテンプルへ、鮮やかに左フックを打ち込んた11回はサムディオが左ジャブからアッパーを連打。最終回は激しい打撃戦となり、ユーリがパワフルなフックとストレートで打ち勝った。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
京都市立体育館[京都府]観衆◎5000人
1993年12月13日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.7キロ
判定
★挑戦者4位
車 南勲
(韓国)50.8キロ
〔勇利〕
アリアス (MEX)・・9・・・・99・・・|117
ローレンス (CUR)・・・・・9999・・・|116
ゲラ (MEX)・・・・・99・・・・・|118
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ゲラ (MEX)99999・・・9999|111
ローレンス (CUR)99999・・・・999|112
アリアス (MEX)99・・9・9・・999|113
〔車〕
レフェリー
カルロス・パディーリャ(PHl)
勇利
17勝(13KO)
4度目の防衛
草
22勝(13KO)2敗1分
余裕の試合運び
自在に挑戦者をコントロ一ル
V4戦の勇利は、リズムのいい攻めで上々の出だし。2回、上体を沈めて左を突いてくる車にワンツーを浅く決めると、5回までにアッパー、左フック、左ストレート、ワンツーと多彩に決めてポイント差を広げていった。
それでも決定打を回避する車は、ワンツーを上下に繰り出して執拗に食い下がり、ペースをつかむ。7回には王者のマウスピースが飛びそうになるほどのクリーンヒットもあった。勇利は時折、ワンツーなどを単発で決めるが、攻勢をかける勢いはない。
しかし10回、勇利は接近してきた車に右アッパーを痛打して後退させる。さらに左右の連打で反撃を断った。11回、勇利はワンツ、車は右フックを放っ。そして・車がスリップ気味に転びかけたところに王者の左が当たり、ダウンとなる。最終回は勇利が相手をロープへ詰め、波状攻撃をかけて終了した。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎1万人
1994年8月1日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.7キロ
KO8回3分06秒
★挑戦者1位
ウーゴ・ソト
(アルゼンチン)50/8キロ
レフェリー
アルフレド・アサロ(FRA)
勇利
19勝(15KO)
5度目の防衛
ソト
38勝(25KO)2敗2分2NC
〔勇利〕
マーキュリオ (AUS)・・・9・9・ |68
チョン (KOR)・・・・99・ |68
ジョーダン (USA)999・・9・ |66
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ジョーダン (USA)・・・9・・9 |68
チョン (KOR)9999・・9 |65
マーキュリオ (AUS)999・9・9 |65
〔ソト〕
強烈なボディーブロー一撃
指名挑戦者を仕留める
指名挑戦者を迎えた勇利は、スタートから鋭い左で中間距離を保ち、右で威嚇して左フックを軽く決める。2回は下から上へのコンビネーションで攻め立てた。
ソトは3回かフックの上下攻撃を仕掛けるが、左アッパーで迎え撃たれ、さらに右カウンターを浴びる。4回はジャブから入って右フックをヒットし、王者にロープヘ詰められも右アッパーで応戦。5回は勇利が、6回にはソトが、それぞれ腹を叩き、ソトは顔面へも左右フックを打ち込んでインファイト。
勇利は左ボディプローや右の打ち下ろしで接近戦でも難なくぺ一スを奪い、8回には右ストレートを炸裂させて相手を弾き飛ばした。手数の減ったソトを追い回しながら一方的に攻める。右アッパーから左フックで腰砕けにするや、レバーへ一撃を加えて10カウントを聞かせ、5度目の防衛に成功した。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
月寒グリーンドーム[北海道]観衆◎7000人
1995年1月30日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.4キロ
判定
★挑戦者3位
オスカル・アルシニエガ
(メキシコ)50.1キロ
レフェリー
ジェームス・ジェンキン(USA)
勇利
20勝(15KO)
6度目の防衛
アルシニエガ
19勝(14KO)6敗1分
〔勇利〕
ロス (USA)・・9999・・・・・・|116
チュン (KOR)・・9・99・・・・・9|116
マクダビッシュ(NZL)・・9999・・・・・・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
マクダビッシュ(NZL)99・・・・99・999|113
チュン (KOR)99・9・・99999・|112
ロス (USA)99・・・・999999|112
〔アルシニエガ〕
序盤の苦戦を経て
終盤ワンサイドでV6
勇利は6度目の防衛戦。初回は互いにリードブローで探り合う。2回はアルシニエガが右を伸ばして先制。勇利は右ストレートから左を腹に決めて仕返しをする。だが、試合前に風邪をひいた影響からか、以降は十八番の右がなかなか決まらない。3回、勇利は左ジャブで迎え撃たれ、4回には右ストレートを食っって大きくのけぞる。追って攻めてはいるものの、アルシニエガの強固なガードと巧みなボディワークで空転気味。
勇利が流れを引き戻したのは7回。上下に攻めて、右ストレートを顎に炸裂させた。さらに相手の上体の動きに沿って右を繰り出し、9回にはストレート、レバーブロー、右クロスを命中させてKOチャンスをつかむ。ここは左フックで反撃したアルシニエガだが、10回以降は後退のステップを刻むことが多く、そこに勇利が右を再三浴びせた。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
日本武道館[東京都]観衆◎6800人
1995年9月25日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.8キロ
判定
★挑戦者1位
チャッチャイ・エリートジム
(タイ)50.8キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
勇利
21勝(15KO)
7度目の防衛
チャッチャイ
20勝(15KO)1敗
〔勇利〕
ハセット (USA)・・・・・9・9・9・9|116
カステラーノ (USA)999・・9・・・・・・|116
オルテガ (USA)・・9・・9・・9・・・|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
オルテガ (USA)9・・99・99・99・|113
カステラーノ (USA)・・・99・9・999・|114
ハセット (USA)99999・9・9・9・|112
〔チャッチャイ〕
緊迫の技術戦
3ー0で無敗対決制す
勇利は自身とまったく同じレコード20勝(15KO)を持つ、最強挑戦者を7度目の防衛戦に迎えた。初回は勇利が左を突いてプレッシャーをかけつつ、右を放つ。チャッチャイは2回から、離れて相手の左を呼び込んでおいての右クロスを再三ヒットしていく。中盤戦に入り・勇利のステップインが大きく鋭くなった。そして左フックを上下に叩きつけ、ロープに詰めると右を連打。間合いを作れず苦戦するチャッチャイだが、7回には互角にパンチを応酬する。
終盤戦、勇利はリードブローの強弱、角度、タイミングを自在に変化させ、ぺ一スを掌握していった。王者のプレッシャーが強まり、チャッチャイは不利な体勢から右クロスを打つのが精一杯となる。勇利は左リードから右を鋭く突き刺し、距離が詰まると左ブローを腹に、右アッパーを顎に決めて圧倒した。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万2000人
1996年2月5日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.8キロ
判定
★挑戦者10位
ラウル・フアレス
(メキシコ)50.5キロ
レフェリー
ルイス・カルロス・グスマン
(ARG)
勇利
22勝(15KO)
8度目の防衛
フアレス
19勝(11KO)2敗
〔勇利〕
マーキュリ(AUS)・・・・99・・・・・9|117
クロース (ARU)・・・99・・・・・・9|117
エレスペル(USA)9・・99・・・9・99|114
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
エレスペル(USA)・99・・998・8・・|112
クロース (ARU)・98・・・・8989・|111
マーキュリ(AUS)9989・・・8999・|110
〔フアレス〕
チャンピオンの貢禄
3度のダウン奪って完勝
8度目の防衛戦を迎える29歳の王者、勇利が21歳のチャレンジャーから3度のダウンを奪って、その貫禄を見せつけた。この日の勇利は初回から積極的な攻撃を見せ、3回に左フックと右ストレートで1度目のダウンを演出。4回以降は挑戦者も素早いステップで対抗し、王者のミスを誘い続けたが、8回、勇利は一瞬の隙をついて左ボディプローを埋め込み、2度目のダウン・シーンが訪れる。
これで完全に波に乗った勇利が9回もフアレスのボディを攻め、次の回にも分厚い左右を飛ばしていった。そして10回、劣勢のフアレスがバランスを崩して倒れると、レフェリーは3度目のカウント。これによってダメ押しの失点を被ったフアレスは、ラスト2回になると逆転KOを狙って出たが、勇利は慌てなかった。無駄のない動きでやり過ごした勇利が、大差の判定勝ちをつかみ取った。
WBC世界フライ級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万1000人
1996年8月26日
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.8キロ
TKO9回1分29秒
★挑戦者8位
渡久地隆人
レフェリー
浦谷信彰(JPN)
勇利
23勝(16KO)
9度目の防衛
渡久地
18勝(15KO)3敗
〔勇利〕
ミン (JPN)・・・・・9・・ |79
森田 (JPN)・・・・・9・・ |79
桑田 (JPN)・・・9・・・・ |79
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
桑田 (JPN)999・9979 |71
森田 (JPN)99・9・・7・ |74
ミン (JPN)9999・・89 |73
〔渡久地〕
5年越しの因縁対決
挑戦者を翻弄してストップ
本来なら日本タイトル戦として5年前に行われていたはずのカード。そんな経緯もあって両者は試合前から闘志をむき出しにして、緊張感の中で始まった試合は序盤から勇利の形で進んだ。手数の少ない渡久地に、9度目のの防衛戦を迎えた王者が細かいブローを繰り出して出してぺ一スをつかみ取る。
4回に右拳を痛め、後に中指骨折と診断された勇利だが、5,6回もジャブで慎重に支配してみせた。渡久地も7回に左フックを決め、王者を者を後退させるが、その直後に放たれた勇利の左ボディブロー、左フックで挑戦者がダウン。さらにロープ際の連打で2度目のダウンが訪れる。何とかここを乗り切り、9回に捨て身の反撃に出た渡久地だが、勇利は挑戦者の疲れを待って、一気に左右をまとめ打ち。ロープに詰まり、身動きのとれなくなった渡久地をここで主審が救出した。
WBC世界フライ級王座統一戦
札幌市月寒グリーンドーム[北海道]観衆◎4500人
1997年11月12日
★暫定チャンピオン
チャッチャイ・ダッチボーイジム
(タイ)50.8キロ
判定
★チャンピオン
勇利・アルバチャコフ
(協栄)50.8キロ
レフェリー
カルロス・パディーリャ(PHl)
チヤッチャイ
31勝(23KO)1敗
2度目の防衛
勇利
23勝(16K0)1敗
〔チャッチャイ〕
ヤング (USA)・・・・9・・・9・・9|117
トミハラ (USA)・・9・9・9・・・・9|116
ゲラ (MEX)・・・・9・・・・・・・|119
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ゲラ (MEX)9999・999・99・|111
トミハラ (USA)99・9・9・99・9・|113
ヤング (USA)9999・999・99・|111
〔勇利〕
長期政権に幕
暫定王者に完敗喫す
14ヵ月ぶりの試合となる勇利は、やはり本調子ではなかった。試合は1,2回からハイテンポの主導権争いとなるが、その中で再戦のチャッチャイがスピーディーな右ストレートと左フックをヒット。続く3回も暫定王者が先手をとり続ける。4回には左フックの相打ちで、勇利が後退する場面もあり、勢いの差が印象づけられてしまう。
5回、勇利は接近戦を挑み、左右のアッパーで反撃。流れが変わり始めたかに見えたが、7回からチャッチャイがぺ一スを引き戻した。素早い左で勇利を迎え撃ち、それに続くパンチを上下に散らしていく。終盤に入ってもタイ人の攻防に乱れはない。ラスト2回は勇利がプレッシャーをかけ、逆転打を狙うが、ここでもチャッチャイのワンツーが上回っていた。判定は3-Oでチャッチャイを支持し、5年5ヵ月に及ぶ勇利政権に幕が下ろされた。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大阪府立体育会[大阪府]観衆◎6700人
1982年4月8日
★挑戦者7位
渡辺二郎
(大阪帝拳〕51.8キロ
判定
★チャンピオン
ラファエル・ペドロサ
(パナマ)52.1キロ
レフェリー
ラリー・ロザディラ(USA)
渡辺
15勝(10KO)1敗
タイトル獲得
ペドロサ
19勝(15KO)8敗1分
〔渡辺〕
ハセット (USA)・・・・・・・・・・9・・・・|149
トレマリ (USA)・・・・・・・・・・9・9・・|148
ロザディラ (USA)・・・・・・・・・・・・・・・|150
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ロザディラ (USA)999999999999999|135
トレマリ (USA)9999・99999・9・99|138
ハセット (USA)9999999999・9999)136
〔ペドロザ〕
2度目の挑戦で頂点へ
関西初の世界王者が誕生
渡辺がペドロサに打ち勝ち、関西のジムから生まれた初めての世界王者となった。初挑戦で金喆鏑との接戦を落とした渡辺が、ゴングとともに出る。サウスポー・スタンスから速い右ジャブを放ち、強烈な左ストレートで序盤から早くも王者の動きを封じた。
後半に入ってからはペドロサのショート・パンチがヒットし、渡辺を後退させる場面もあった。が、渡辺にダメージはない。13回には強引に突進するペドロサを、挑戦者は右フックで返り討ちにする。14回には渡辺の鮮やかな左ストレート、右フックで王者の腰が一瞬砕けた。最終回に意地の反撃を仕掛けたペドロサだったが、渡辺はカウンターでこれを退けた。3年前、具志堅用高にも大差判定負けしているペドロサは、またしてもそのタフネスしか日本のファンに披露することはできなかった。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎6500人
1982年7月29日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳〕51.8キロ
TKO9回終了
★挑戦者1位
グスタボ・バリャス
(アルゼンチン)52.0キロ
レフェリー
ルディ・ジョーダン(USA)
渡辺
16勝(11KO)1敗
初防衛
バリヤス
57勝(22KO)2敗1分
〔渡辺〕
ボルクマン (USA)・・・・・・・・ |80
バンサ (USA)・・・9・9・・ |78
ジョーダン (USA)・・・・・99・ |78
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ジョーダン (USA)999・9・・9 |75
バンサ (USA)99・・・・99 |76
ボルクマン (USA)99999999 |72
〔バリャス〕
アルゼンチンの最強挑戦者に
鮮やかなTK0防衛
渡辺が初代WBA王者を見事なTKOで退け、初防衛戦をクリアした。24歳の若さながら60戦の戦績を誇るバリャスは、前半戦はあらかた支配。初回から低い体勢で渡辺に迫る。左構えの渡辺は冷静にこれに対処するが、抗しきれた
とはいえない。4回はガードを固めたバリャスのボディ攻めが光る。6回にも挑戦者の右ストレートが渡辺を捉えて動きを止めた。だが8回、渡辺はキャンバスを軽快に移動しながら左ストレート、左右フックを連発し、ようやく逆襲に転じる。9回は両者の意地が真正面からぶつかり合った。まず挑戦者が右ストレートで渡辺のテンプルを奇襲。渡辺も前進して相手をロープに詰め連打する。するとバリャスの目が濁った・戦意喪失にまで追い込んだ渡辺の猛攻は、ゴングが鳴っても収まらない。挑戦者のダメージを見極めた主審が、ここでストップを告げた。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
浜松市体育館[静岡県]観衆◎6500人
1982年11月11日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.0キロ
TKO12回1分46秒
★挑戦者9位
大熊正二
(新日本木村)52.1キロ
レフェリー
マーチン・デンキン(USA)
渡辺
17勝(12KO)1敗
2度目の防衛
大熊
38勝(20KO)10敗1分
〔渡辺〕
桑田 (JPN)・・・・・・・・・・・ |110
手崎 (JPN)・・・・・・・9・・・ |109
デンキン (USA)・・・・・・・9・・・ |109
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
デンキン (USA)999・999・999 |101
手崎 (JPN)・99・・99・・・9 |105
桑田 (JPN)99・・999・・・9 |104
〔大熊〕
老雄の2階級制覇を阻み
王看の快進撃は続く
史上5度目となる日本選手同士の世界戦は、サウスポー対決になる。この試合、王者は挑戦者につけ入る隙を与えることはなかった。フライ級に続いて2階級制覇を狙う大熊は初回から積極的に出るが、大振りの左右フックを見透かされる。渡辺はフットワークを生かしたリードプローで翻弄していった。3回のバッテイングで切った額から血を流して戦う大熊の中盤戦は、苦しいものになる。渡辺のボディを狙って前進するも、出鼻に右ジャブを突かれ詰め寄れない。10回終盤には王者の右フックを浴びてよろける。11回にも渡辺の左右フックでグラついた。渡辺は12回開始のゴングを前に、観客席に向かって「倒すぞ」と右手を上げて宣言。大熊の反撃を右で迎えた渡辺がラッシュ。渡辺の右フックを受けて背を向ける大熊を見た主審は、これを戦意喪失と見なし、渡辺のTKO勝ちを宣告した。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
津市体育館[三重県]観衆◎5000人
1983年2月24日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)51.9キロ
KO8回1分22秒
★挑戦者1位
ルイス・イバネス
(ペルー)51.8キロ
レフェリー
ワルデマール・シュミット
(PUR)
渡辺
18勝(13KO)1敗
3度目の防衛
イバネス
33勝(24KO)2敗1分
〔渡辺〕
ジュトラス (CAN)・・・・・・・ |70
ペレス (PAN)・・・・・9・ |69
シュミット (PUR)・・・・・・・ |70
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
シュミット (PUR)9999999 |63
ペレス (PAN)99・9・・9 |66
ジュトラス (CAN)9999999 |63
〔イバネス〕
ペルーの指名挑戦者を
左の決め打ちでフィニッシュ
渡辺が鮮やかなKOで指名挑戦者を撃退、 V3を呆たした。33勝(24KO)の戦歴を誇るイバネスだが、サウスポーから繰り出す渡辺の強打を警戒。一方の渡辺は華麗なボクシングで、そんなイバネスに多彩なパンチを集めていく。挑戦者も3回から前進しボディブローを放つが、王者のスピードについていけない。5回に最初のピンチに立ったイバネスは6回、ショート・アッパーを多用して流れをつかもうとするが、渡辺の左ストレートがそれを許さない。7回にもイバネスが大振りのフックで攻めたが、王者はこれを自在なステップで空転させた。8回、渡辺に右フックを3連打されたイバネスは、気迫で前進する。その刹那、渡辺の左右のパンチをまともに浴び、イバネスはダウン。立ち上がったが、その直後に狙いすました渡辺の左ストレートで豪快なフィニッシュ・シーンが訪れた。
WBA世界ジュニアーバンタム級タイトルマッチ
宮城県スボーツセンター[宮城県]観衆◎1万人
1983年6月23日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52,Oキロ
判定
★挑戦者9位
仙台ラミレス
(仙台)51.7キロ
レフェリー
マーチン・デンキン(∪SA)
渡辺
19勝(13KO)1敗
4度目の防衛
ラミレス
33勝(19KO)9敗1分
〔渡辺〕
ポリス (USA)・・9・99・9・9・・・99|143
レケナ (VEN)・・・・・9・9・999・99|143
デンキン (USA)・・9・99・9・99・・98|141
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
デンキン (USA)79・8・・・・8・・・9・・|141
レケナ (VEN)89・89・・・8・・・9・・|141
ポリス (USA)89・8・・9・8・・99・・|140
〔ラミレス〕
中盤からの猛追許し
盤石の王看が予想外の苦戦
序盤の楽勝ぺ一スも、挑戦者の頑張りで、渡辺の4度目の防衛戦は、一転苦しいものになった。メキシコからの輸入ボクサー、ラミ
レスは23歳の若さながら、渡辺の2倍以上のプロ経験を積んでいる。そのラミレスが左ストレートを浴びて初回からダウンする。2度目のダウンは右フック。さらに王者の左ストレートで吹き飛んだ挑戦者の左グラブがキャンバスについた。3度目のダウンと思われたが主審はスリップと判断。4回にもラミレスは右ショートを浴びてダウンする。しかし中盤から挑戦者のエンジンが稼動し始め、反撃を開始した。9回、渡辺は左右フックで4度目のダウンを奪ったが、とどめを刺せない。終盤戦、王者が右目上から血を流し、ラミレスはいよいよ勢いづき、打ち疲れた渡辺に食らいつく。渡辺は最後の最後まで苦しめられたが、判定は2-0で王者を支持した。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎1万4000人
1983年10月6日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.1キロ
負傷判定11回終了
★挑戦者1位
権 順天
(韓国)51.7キロ
レフェリー
ビンセント・レイノン(USA)
渡辺
20勝(13KO)1敗
5度目の防衛
権
19勝(14KO)3敗2分
〔渡辺〕
ビラロボス (PAN)・・・・・・・・9・・ |109
トーレス (PAN)・・・・・・・・9・9 |108
レイノン (USA)99・9・・・・9・・ |106
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
レイノン (USA)・・9・9899・87 | 99
トーレス (PAN)99・9・899・88 | 99
ビラロボス (PAN)・9・9・99・・88 |102
〔権〕
ラフ・ファイトの挑戦者に
傷だらけのV5
権のラフ・ファイトに苦しみながらも、強打を的確にヒットした王者が、負傷判定で5度目の防衛を果たした。サウスポー同土の一戦は権の積極的な攻めで幕を開けた。渡辺は足を使って権の攻撃をかわすと、鋭利な右フックをピンポイントに集める。中盤から権の攻めは荒くなり、6回にはキドニー・ブローで減点を受けた。権は一方的な展開、に焦り、無謀なラッシュをかけるが渡辺を捕らえきれない。10回、権との距離を測りながら右フック、左ストレートを見舞う渡辺に・挑戦者は見境のない突進。まずバッティングで減点。11回も権の大暴れは止まらない・バッティングで渡辺の左眉上を切り裂き、肩を打ち当て、バッティングを追加して減点2を取られる。インターバルに渡辺の傷を診断したドクターは試合中止を進言。それまでのポイントでリードを奪っていた渡辺が勝利した。
WBA世界ジュニア・バンタム綬タイトルマッチ
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万5300人
1984年3月15日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.1キロ
TKO15回1分10秒
★挑戦者1位
セルソ・チャベス
(パナマ)51.1キロ
レフェリー
フリッツ・ワーナー(USA)
渡辺
21勝(14KO)1敗
6度目の防衛
チャベス
16勝(13KO)1敗1分
〔渡辺〕
トレマリ (USA)・・9・・9・・・・9・・・|137
マッコンキー (USA)・・・・9・・・・・9・9・|137
ワーナー (USA)・・・・・9・・・・・・・・|139
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ワーナー (USA)99・9・・998999・8|128
マッコンキー (USA)・999・99999・9・8|129
トレマリ (USA)99・99・・999・998|129
〔チャベス〕
技巧の深みの差
余裕の最終回TK0
流血しながらも鋭い右フックでチャベスを退けた渡辺が、6度目の防衛に成功した。ヒョロリとした長身のチャベスは、12連続KO勝ちの勢いに乗って初回から攻める。が、技術の深みは渡辺が一枚上。サウスポーの王者に翻弄されていく。3回、チャベスの右ストレートで渡辺の顔面が後ろに弾かれ、6回には右アッパー、左フックを受けてヒヤリとするシーンもあった。7回からは右目も腫れてくるが、右へ回りながら右フック、左ストレートと打ち込んでリズムをつかみ直す。終盤に入ると、血がしたたる渡辺の右目を狙って、チャベスが左ストレート、フックを放って追う。しかし、渡辺は14回、軽快なフットワークでチャベスをいなすと、強烈な右フックでダウンを奪った。最終回、ダメージの残る挑戦者に、渡辺がフックを連打すると、レフェリーが飛び込んでTKOを宣告した。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万4000人
1984年7月5日
★前WBAチャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.0キロ
判定
★チャンピオン
パヤオ・プーンタラット
(タイ)52.0キロ
レフェリー
リチャード・スティール
(USA)
渡辺
22勝(15KO)1敗
タイトル獲得
パヤオ
10勝(7KO)2敗
〔渡辺〕
ベルチニ (ITA)・999・9・9・・・・|115
ヤング (USA)9・99・・9・・・・・|116
フィリポ (USA)・9・9・・9・・・・・|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
フィリポ (USA)9・9・99・999・9|112
ヤング (USA)・9・・99・・9999|113
ベルチニ (ITA)・・・・・・9・9・99|116
〔パヤオ〕
王座奪還の警告無視
“真の世界一”の称号つかむ
WBA王者の渡辺とWBC王者のパヤオがベルトをかけて戦うはずだったが、WBAがこの統一戦を認定せず渡辺の王座を剥奪。試合はWBCのベルトのみをかけて争われることになった。剥奪の警告を無視してまでクラス最強の証明に挑んだサウスポーの渡辺は、パヤオの強打をにらんで、慎重な立ち上がりを見せる。だが、パヤオはそんな渡辺を右ストレートで叩いて一歩リードする。中盤に入るとようやく、渡辺の右フック、左ストレートが王者を追い込む場面も増えた。9回、渡辺の左ショートを受けてパヤオが後退する。10回からは渡辺が右フックを連射してパヤオを攻めると、パヤオはカウンターで応戦。ラスト2回は、渡辺が右フックで倒しにかかり、相手をダウン寸前に追い込む。防戦一方のパヤオを攻め続けた渡辺は、2-1の判定で“真の世界一”の称号を手に入れた。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
熊本県立体育館[態本県]観衆◎8000人
1984年11月29日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.0キロ
TKO11回1分54秒
★挑戦者1位
パヤオ・プーンタラット
(タイ)52.1キロ
レフェリー
ジョーイ・カーチス(USA)
渡辺
23勝(16KO)1敗
初防衛
パヤオ
10勝(7KO)3敗
〔渡辺〕
カステラーノ(USA)・9・・・・99・9|96
ゲラ (MEX)・9・・・9・・・9|97
ギブス (GBR)・9・・・・99・9|96
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ギブス (GBR)9・99899・9・|92
ゲラ (MEX)9・998・999・|92
カステラーノ(USA)9・99899・9・|92
〔パヤオ〕
*パヤオは7回ローブローで減点1
左で仕留める
前王者を痛烈に返り討ち
WBCタイトルでは初めて、通算で7度目となる防衛戦を渡辺が文句なしのTKOで決めた。4ヵ月前に渡辺との事実上の統一戦を、僅差判定で落としている前王者のパヤオが、序盤から積極的に攻める。渡辺は左構えから自分の距離を保ちつつ、右フックを効果的に放っていった。5回、渡辺の右フックがピンポイントでパヤオの顎を捉えると、挑戦者は大の字にダウン。中盤の渡辺は倒しにいかず、ラフになったパヤオのボクシングに冷静に対応しながらポイントを重ね、チャンスを待った。9回には右フックでタイ人をよろめかせた。11回、パヤオの雑な攻めをいなした渡辺は、左ストレート、右フックのコンビネーションで挑戦者をグラつかせると、左ストレートを狙い打ってダウンを奪う。立っているのがやっとのパヤオの顔面に渡辺の左ストレートが2発入った直後、主審が試合を止めた。
WBC世界ジュニアバンタム級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎3000人
1985年5月9日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.1キロ
判定
★挑戦者6位
フリオ・ソト・ソラノ
(ドミニカ)52.1キロ
レフェリー
デビー一パール(USA)
渡辺
24勝(16KO)1敗
2度目の防衛
ソラノ
38勝(21KO)6敗2分
〔渡辺〕
ナダヤグ (PHI)・・9・・・・・9・9・|117
ギルホーリー (HKG)9・9・・・9・・99・|115
デルガド (USA)・・・・・・・・・・・・|120
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
デルガド (USA)・・9・999・99・9|113
ギルホーリー (HKG)・9・999・99・・9|113
ナダヤグ (PHI)・9・・・999・9・9|114
〔ソラノ〕
流血のハンディを乗リ越え
判定で世界戦10連勝
左顔面に激しく流れる血をものともせず、世界王者としては東京初登場となる渡辺が、WBA王者時代から通算で8度目の防衛戦をクリアした。前半はソラノが右ストレートで渡辺の左目をカットし、なおも右ボディブローをめり込ませて手数で王者を圧倒する。しかし中盤に入るとサウスポーの渡辺も左フック、ワンツーを効果的に決めて挽回したソラノは王者のコンビネーションに後退しつつも鋭く伸びる右ストレートで応戦した。
終盤も衰えないベテランのソラノはワンツー、ストレートをヒット。ソラノのリズムとアグレッシブに、なかなか波に乗りきれなかった渡辺だが、10回、左ストレートを軸に前進する。ソラノはロープを背にしながらも左アッパーの3連打で渡辺の攻勢を防ぐ。最終回に王者の意地を見せた渡辺は、持てるパンチのすべてをぶつけ、激戦の壁を越えた。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万人
1985年9月17日
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.1キロ
TKO7回1分26秒
★挑戦者6位
勝間和雄
(神林)52.1キロ
レフェリー
ジェームス・ジェンキン(USA)
渡辺
25勝(17KO)1敗
3廣目の防衛
勝間
17脂(13KO)9敗1分
〔渡辺〕
柏木 (JPN)・9・・・9 |58
中森 (JPN)・・・・・・ |60
熊崎 (JPN)・・・・・・ |60
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
熊崎 (JPN)999789 |51
中森 (JPN)99979・ |53
柏木 (JPN)9・979・ |54
〔勝間〕
見せつけた格の違い
7回でワンサイド劇に決着
渡辺が格の違いを見せつけた。日本王者の勝間を計4度ダウンさせて、TKOで世界戦11連勝を果たす。元世界王者の小林光二をKOで下した勝間は、クラウチング・スタイルから右ストレート、左フック、ボディブローを繰り出し積極的に攻める。渡辺は素早い動きでパンチを楽々と見切ると、切れのよい左ストレートで勝間の腰を揺らした。勝間は4回にワンツーで前に出たが、渡辺が左ストレートからつないだ右フックをまともにもらいダウン。立ち上がった勝間を渡辺がロープ伝いに追い、連打を上下に打ち分ける。2度目のダウンは右アッパー。5回以降も勝間は攻め続けるが有効打はほとんどない。7回、渡辺に右フックを連打された勝間は防戦一方となる。勝間は左ショートでダウンしながら、気力で一度は立ち上がったものの、渡辺の左ストレートで倒れると、主審が試合を止めた。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
大邸室内体育館[韓国大邸]
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.0キロ
KO5回2分34秒
★挑戦者9位
尹 石煥
(韓国)52.0キロ
レフェリー
トニー・ベレス(USA)
渡辺
26勝(18KO)1敗
4度目の防衛
尹
9勝(7KO)2敗
〔渡辺〕
デルガド (USA)・・99 |38
バルナー (AUH)・・99 |38
ナダヤグ (PHI)・・・9 |39
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ナダヤグ (PHI)97・・ |36
バルナー (AUH)98・・ |37
デルガド (USA)87・・ |35
〔尹〕
6度ダウンを奪う圧勝で
日本初の海外防衛に成功
韓国で行われた通算10度目となる渡辺の防衛戦は、6度もダウンを奪う圧勝で、日本人では初となる海外防衛に成功した。試合開始直後の渡辺は足でリズムをとりながら挑戦者の戦力を計る。尹が出した大振りの左フックをかわしたのと同時に右ショート・フックを顎に決めて早くもダウンを奪った。2回、王者の左ストレートをカウンターで受けた尹は再度、キャンバスヘ。尹は立ち上がったが右フックでまたしてもダウン。しかし尹はすぐに回復し、3回には左右のパンチで反撃した。しかし、渡辺は4回に右へ回り込みながら右ジャブを連打し、左ストレートで尹をグラつかせる。尹は左フックで反撃するが有効打はない。5回、渡辺はロープヘ尹を詰めると、右フックの連打からストマックに左アッパーを見舞ってダウンを奪う。尹はこの後も2度ダウンして、大の字に眠った。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
伊丹スボーツセンター[大阪府]観衆◎4100人
1986年3月30日
★挑戦者1位
ヒルベルト・ローマン
(メキシコ)52.1キロ
判定
★チャンピオン
渡辺二郎
(大阪帝拳)52.1キロ
レフェリー
スティーブ・クロッソン(USA)
ローマン
41勝(32KO)3敗
タイトル獲得
渡辺
26勝(18KO)2敗
〔ローマン〕
シーリー (USA)・99・・9・・・9・・|116
デルガド (USA)99・・・9・9・・・・|116
ギブス (GBR)・99・・・・9・9・・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ギブス (GBR)・・・999・・9・99|114
デルガド (USA)・・999・9・9999|112
シーリー (USA)9・・99・999・99|112
〔渡辺〕
岐巧の挑戦者に完敗
世界戦連勝は12でストップ
WBA,WBC通算で10度も防衛を重ねてきた渡辺もついに王座を追われる日がやってきた。メキシカンの試合巧者、ローマンはガードを高くして左ジャブを突き、スタートからリズムに乗る。渡辺は左ボディブローで応戦するが、軽いフットワークから多彩に攻め口を作ってくる挑戦者を止めきれない。4回にもローマンが左右のパンチを上下こ打ち分けた。中盤戦ではサウスポーの渡辺の左ストレートが鋭くローマンの顔面を突く。が、挑戦者の勢いは止まらない。10回、左ストレートからの連打で後退させても、挑戦者もすぐに反撃してくる。11回、渡辺はローマンを打ち合いに引きずり込むが、ぺ一スは依然つかめない。最終回も右ジャブ、右フックを決めてローマンをたじろがせたが、挑戦者に右ストレートを強振されて後手に回った。3-Oの判定でついに王座を明け渡した。
WBA世界ジュニア・バンタム級王座決定戦
東京体育館[東京都]観衆◎1万2000人
1992年4月10日
★同級1位
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
判定
★同級2位
タノムサク・シスボーベ
(タイ)52.1キロ
レフェリー
スティーブ・スモーガー(USA)
鬼塚
19勝(16KO)
タイトル獲得
タノムサク
37勝(21KO)3敗
〔鬼塚〕
ロドリゲス (VEN)・9999・・9・・・・|115
ブラック (PAN)・9999・・・・・・・|116
金 (KOR)・9999・9・・・・・|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
金 (KOR)9・・・・9・9999・|114
ブラック (PAN)9・・・・9・999・9|114
ロドリゲス (VEN)9・・・・・9・9999|114
〔タノムサク〕
カオサイの後継王座を
打撃戦で競り落とす
90年にベテラン中島俊一を破って日本王座を獲得、アマ出身のエリートから一躍、世界を狙う新鋭となった鬼塚が、19度防衛を果たしたタイの怪物カオサイ・ギャラクシーが返上した王座をタノムサクと争った一戦。試合は初回からハイペースな打ち合いとなり、5回まではノーモーションの左ジャブを中心に積極的に攻めたタノムサクが主導権を握る。
鬼塚は右目上をカットし、鮮血を流しながらのファイトになる。6回以降、前半にポイントを稼いだタノムサクが失速した。すかさず鬼塚はギアをトップに入れ、得意のワンツーを武器に猛然と反撃、試合の流れを変えてしまう。終盤は打ちつ打たれつの白熱した接戦になったが、判定は僅差で鬼塚を支持。激戦を制した鬼塚が初の世界タイトル獲得に成功した。試合後、判定にタノムサク側が抗議、“疑惑の判定”と物議を醸した。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
日本武道館[東京都]観衆◎1万3000人
1992年9月11日
★チャンピオン
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
TK05回1分26秒
★挑戦者5位
松村謙一
(JA加古川)52.1キロ
レフェリー
森田健(JPN)
鬼塚
20勝(17KO)
初防衛
松村
12勝(8KO)6敗1分
〔鬼塚〕
ペレス (PAN)・・・・ |40
島川 (JPN)・・・・ |40
手崎 (JPN)・・・・ |40
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
手崎 (JPN)9997 |34
島川 (JPN)9997 |34
ペレス (PAN)9997 |34
〔松村〕
ペテラン挑戦者を一蹴
疾風の連打で5回TK0
4度目の世界挑戦となる松村を挑戦者に迎えた鬼塚は、疑惑の判定と批判された王座獲得から一転、このベテランを完膚なきまでに打ちのめし悪評を一掃した。王者の左ジャブで試合はスタート。挑戦者も左右フックを上下に叩きつけ、互いに仕上がりのよさを感じさせる。しかし、2回に入ると両者の攻防技術の差が早くも明らかになる。鬼塚の速いパンチを不用意にもらう松村に対し、王者は堅いガードで挑戦者のフックを防いだ。
完全にぺ一スを掌握した鬼塚が本領を発揮したのは4回。強烈な左フックで松村の体を揺らすと一気に連打し、右ストレートから左アッパーでダウンを奪う。再開後も疾風の連打で再びダウンを追加した。王者の研ぎ澄まされた左右ストレートに耐え、果敢に反撃を試みようとした松村だったが、ついに5回、王者の集中打の前にTKOを宣告された。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎9000人
1992年12月11日
★チャンピオン
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
判定
★挑戦者1位
アルマンド・ガストロ
(メキシコ)52.1キロ
レフェリー
スティーブ・スモーガー(USA)
鬼塚
21勝(17KO)
2度目の防衛
カストロ
39勝(34KO)13敗2分
〔鬼塚〕
ビラロボス (PAN)・・・・・・・・・・9・|119
柳 (KOR)9・・・・・・・・・9・|118
リベラ (USA)・・・・9・・・・・・・|119
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
リベラ (USA)9999・8999999|108
柳 (KOR)・99999999・・9|111
ビラロボス (PAN)・99・99・9・9・9|113
〔カストロ〕
1位を相手に壮絶な打撃戦
果敢に攻め落としV2
打ち合いを好む最強の敵カストロを指名挑戦者に迎え、王者の真価が問われた一戦だった。しかし鬼塚は壮絶な打撃戦を見事に制し、判定で2度目の防衛に成功した。初回、王者はいきなりピンチを迎える。挑戦者の右フックでグラつき、ロープを背負うこと2分。しかし、2回になると鬼塚は足を使ってサイドに回り、スピーディーなワンツーと左ボディブローで態勢を立て直す。
以降は王者が主導権を握った展開になる。無尽蔵のスタミナと攻撃力、驚異のタフネスから“モンストゥルオ(怪物)”の異名を持つ挑戦者を苦しめたのは、王者の左ボディブローだった。最初こそ意に介さずだったが、中盤にはたまらず肘でブロック。9回には鬼塚が右アッパーでカストロの左目上を切り裂く。最後まで前進する挑戦者を果敢に攻め落とした、鬼塚のベスト・バウトの一つだ。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
日本武道館[東京都]観衆◎1万1千人
1993年5月21日
★チャンピオン
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
判定
★挑戦者2位
林 在新
(韓国・洛翠)52.0キロ
レフェリー
牧角健次郎(JPN)
鬼塚
22勝(17KO)
3度目の防衛
林
12勝(7KO)3敗
〔鬼塚〕
内田 (JPN)・・9・9・・・・・99|116
島川 (JPN)・・・・9・・・・・99|117
マクドナルド(PAN)9・・99・9・・・・9|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
マクドナルド(PAN)・9・・・・・・999・|116
島川 (JPN)・99・・・9989・・|113
内田 (JPN)・9・9・・9・99・・|115
〔林〕
初挑戦の伏兵を相手に
意外な苦戦を強いられる
林小太郎の名前で日本のリングに上がっていた挑戦者に、鬼塚は意外なほど手こずった。試合前半は林ぺ一ス。手数の乏しい鬼塚に対し、動きながら鋭く踏み込んで左を伸ばす。これがたびたび顔面を襲い、5回には右を浴びせてコーナーへ追い込むと、右アッパーとストレートで王者を防戦一方にした。
鬼塚は6回から手数を増す。持ち前のスピーディーなストレートが的を射抜いたのは8回だった。ワンツーから左アッパーも命中させ、9回にはカウンターの右ショートで林をグロッギーに陥れた。さらに連打で畳みかけるが、ダウンを奪えず攻撃は尻すぼみとなる。
ラスト2回は林が制した。11回はワンツーで機先を制し、離れては右カウンターを見舞う。最終回は相手をロープに押し込み、右ストレートに左右アッパーを打ち込んだ。
鬼塚はV3達成も、判定が論議を呼んだ。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎1万1000人
1993年11月5日
★チャンピオン
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
判定
★挑戦者1位
タノムサク・シスボーベ
(タイ)52.1キロ
レフェリー
ルディ・バトル(USA)
鬼塚
23脇(17KO)
4廣目の防衛
タノムサク
44勝(25KO)4敗
〔鬼塚〕
ポリス (USA)・99・・・9・・9・・|116
ペレス (PAN)・・9・・・9・99・9|116
李 (KOR)・・9・・・9・99・9|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
李 (KOR)99・99・・99・9・|113
ペレス (PAN)99・9・・9・9・・9|114
ポリス (USA)9・・999・98・99|111
〔タノムサク〕
*タノムサクは9回にゴング後の加撃で減点1
因縁の同戦も接線
辛うじて王者が返リ討ち
19ヵ月前の対決は、“疑惑の判定”とまで言われ、この再戦もまた、際どい勝負となる。鬼塚は前回と違い、最初から打って出る。上体
を振り、左右へ回り込み、速いジャブを連射した。空振りや左右を単発でもらう場面はあるが、手数と攻勢で上回る。3回はタノムサクの左フックでバランスを失い、右で顎を狙い打たれるも、4回は再び攻勢。5回は左フックからのワンツーを多用して相手を後退させた。中盤はタノムサクが左ジャブとカウンターの左右ストレートを有効に決めてぺ一スを握る。9回には右で鬼塚の顎を跳ね上げるが、終了のゴング後の加撃で減点を科された。
鬼塚は10回、テンプルにワンツーを浴びて足がもつれたが、11回はワンツーから左ボディブローで盛り返す。最終回は左を浴びて体を泳がせながらも右クロス、ワンツーで相手をロープヘ押し込み、上下に打ち分けた。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万2000人
1994年4月3日
★チャンピオン
鬼塚勝也
(協栄)52.1キロ
判定
★挑戦者4位
李 承九
(韓国)52.1キロ
レフェリー
ルディ・バトル(USA)
鬼塚
24勝(17KO)
5廣目の防衛
李
15勝(11KO)3敗1分
〔鬼塚〕
キンタナ (USA)・9・・9・・・9・・9|115
ヒル (PAN)・・・・89・・・・99|115
アギレラ (COL)・・・98・・・9・・9|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
アギレラ (COL)999・・・9・・99・|114
ヒル (PAN)・99・・・9999・・|114
キンタナ (USA)9・99・999・99・|112
〔李〕
プロ初のダウンも
果敢なアタックで晩回
V5戦の鬼塚は大声援を背に左ジャブからワンツーを送り、李は左のフック、アッパーから右を返す。鬼塚は、強打者として鳴る李に対して慎重な立ち止がりになったが、4回からぺ一スが下がる。シャープな左で機先を制し、すれ違いざまに左フックを痛打。カウンターの右ショートもきれいに決まった。
定評のある李の左フックが炸裂したのは5回。鬼塚はこの一撃でプロ初のダウンを喫した。6回から王者がまた攻勢に転じる。上下へのコンビネーション・ブローが冴え、7回にはロープヘ詰めての右が鮮やかにヒット。李は8回、鬼塚の顎を右で大きく突き上げ一時は逆襲に転じるが続かない。カバーリングで危機を脱した鬼塚は、ボディブローに活路を見出して左右を連打し、9回以降も果敢なアタックで李を圧倒する。最終回は李がスパートしてパンチを応酬した。
WBC世界ジュニアーバンタム緩タイトルマッチ
横浜文化体育館[神奈川県]観衆◎5580人
★挑戦者3位
川島郭志
(ヨネクラ)52.1キロ
判定
★チャンピオン
ホセ・ルイス・ブエノ
(メキシコ)52.0キロ
レフェリー
マーチン・デンキン(USA)
川鳥
14勝(12KO)2敗1分
タイトル獲得
ブエノ
24勝(17KO)4敗1分
〔川島〕
カステラーノ(USA)・・・9・8・99・・9|114
スミス (USA)・・・9・9・999・9|114
ホントンカム(THA)9・・9・9・・9・・・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ホントンカム(THA)・99・9999・989|110
スミス (USA)999・999・・・8・|112
カステラーノ(USA)999・9・9・・・8・|113
〔ブエノ〕
*川島は6回にホールディングで減点1
稀代のテクニシャンが
ついに世界つかむ
メキシコのチャンピオン・メーカー、ナチョ・ベリースタインが“怪物”と賞賛するブエノを相手に、川島が桁違いのテクニックを見せつけて見事に世界王座を手にした川島は初回、サウスポー・スタンスから左ストレートと右フックをヒット、2回も右フックを決めた。ブエノは相手の出鼻に右を狙うが、スウェーバックでかわされる。
4回はブエノの右を浴びて手数も落ちた川島だが、5回に足を止めての打ち合いを挑み、左右でグラつかせるなど主導権を握った。6回はホールディングで減点されたものの、スピードとボディワークでブエノを翻弄。そして11回、強烈な左フックでブエノに8カウントを聞かせる。最終回は無理をせずに流し、試合終了のゴングを聞いた。
採点は僅差ながら、川島が新チャンピオンとなり、ブエノは初防衛に失敗した。
WBC世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
横浜文化体育館[神奈川県]観衆◎4500人
1995年5月24日
★チャンピオン
川島郭志
(ヨネクラ)52.1キロ
判定
★挑戦者4位
李 承九
(韓国)52.Oキロ
レフェリー
ガルダペ・ガルシア(MEX)
川島
17勝(12KO)2敗1分
3度目の防衛
李
17勝(13KO)4敗1分
〔川島〕
ハザードJr (USA)・・・・・・・・・89・|117
サモン (USA)・・・・・・99・8・・|116
シーリー (USA)・・・・・・・9・89・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
シーリー (USA)9999999・9・・9|111
サモン (USA)999999・・9・99|111
ハザードJr (USA)9999・99・9・・9|112
〔李〕
痛烈なダウンにヒヤリも
大差判定で逃げ切る
開始と同時に、川島が珍しく速攻を仕掛けた。サウスポー・スタイルからのワンツーが李の顔面を捉える。2回は左から右フックを当てて接近し、上下に打ち分けた。3回以降も川島のワンサイドで進行。右ショート、左アッパー、フックと面白いようにクリーンヒットする。李のパンチも当たるが、川島は独特のヘッドスリップで急所に人れさせない。
10回、事態が急変。すっかり動きの鈍くなっていた李だが、鬼塚をダウンさせた破壊力は健在だった。なんでもない左フックで川島が急にフラつき、左フックから右ストレートを追加されてダウンを喫した。再開後、右を浴びて棒立ちの川島は相手に絡みついて、ヤっとピンチを切り抜ける。以降は李のガス欠に助けられ、最終回は川島が再び左右ブローで圧倒した。新チャンピオンとなって1年、川島は3度目のタイトル防衛に成功した。
WBC世ジシュニア・バンタム級タイトルマツチ
両国国技館[東京都]観衆◎9000人
1995年11月8日
★チャンピオン
川島郭志
(ヨネクラ)52.1キロ
TKO3回1分57秒
★挑戦者9位
ボーイ・アルアン
(インドネシア)51.9キロ
レフェリー
カルロス・パディーリャ(PHl)
川島
18勝(13KO)2敗1分
4度目の防衛
アルアン
26勝(6KO)4敗1分
〔川島〕
ハザードJr (USA)・・ |20
ジョーダン (USA)・・ |20
メディーナ (MEX)・・ |20
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メディーナ (MEX)99 |18
ジョーダン (USA)99 |18
ハザードJr (USA)9・ |19
〔アルガン〕
窓濤のラッシュ
世界戦で初めてのTK0勝ち
日本で行われる世界戦に、インドネシアから初めて送り込まれたアルアン。来日前は情報が少なく、川島と同じサウスポー・スタイルであるということさえ当初は不明だった。
川島は左右へ軽く動き、ジャブで探りを入れる慎重なスタート。アルアンは頭から突進して絡みつき、レフェリーが「ブレーク」をかけた直後に加撃する。この反則まがいの行為で、川島は2回中盤に倒される(スリップ)。
それまではクリンチも多く噛み合わない展開だったが、川島は怒りを攻撃に転化し、右フックのダブルや左ストレートをヒット。そして3回、サイドヘ固り込んで左ストレートを叩き込み、後退するアルアンを追い回してラッシュをかける。左ストレートで最初のダウンを奪うと、再開後もパンチの雨を降らせ、右フックでフニッシュした。川島は世界戦で初めてTKO勝ちし、4度目の防衛に成功。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
愛知県体育館[愛知県]観衆◎7700人
1997年12月23日
★挑戦者2位
飯田覚士
(緑)52.1キロ
判定
★チャンピオン
ヨックタイ・シスオ
(タイ)52.0キロ
レフェリー
エンゾ・モンテロ(VEN)
飯田
23勝(11KO)1敗1分
タイトル獲得
ヨックタイ
14勝(8KO)1敗1分
〔飯田〕
メロネン (FIN)・・・・・・99・999|115
シュミット (PUR)・・・・・・・9・・89|115
マルドナド (PAN)・・・9・9・・9999|114
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
マルドナド (PAN)8・9・999・9・・・|113
シュミット (PUR)899998・・9・・・|111
メロネン (FIN)8999・8・・9・・・|112
〔ヨックタイ〕
*ヨックタイは6,9回にローブローで各減点1
王者の猛追をしのぎ
3度目の挑戦でつかみ取る
8ヵ月前の「ドロー」を受けて行われた再戦は、いきなりのダウン・シーンでスタートする。初回残り30秒のところで飯田の左カウンターが炸裂し、王者のヨックタイがキャンバスに落下するのだ。これで優位に立った飯田が、2回以降は足を使ってリング上にサークルを描き、焦り気味のヨックタイが強引に前進し続けた。ヨックタイは6回と9回にローブローで減点。これで飯田がさらに有利となるわけだが、中盤から始まった王者の反撃も回を追うごとに激しくなってくる。
初回のダウンのせいで逆にオーバーぺ一ス気味になっていた飯田は、後半になると疲れの表情を見せ始め、特に10回以降はピンチの連続。ダウン寸前に陥る場面もあったが、挑戦者はクリンチを駆使してここを乗りきり、3-0の判定勝ちをつかみ取った。3度目の挑戦にして飯田が世界王座に駆け上がった。
WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルマッチ
愛知県体育館[愛知県]観衆◎7000人
1998年4月29日
★チャンピオン
飯田覚士
(緑)52.1キロ
判定
★挑戦者11位
井岡弘樹
(グリーンツダ)52.1キロ
レフェリー
森田健(JPN)
飯田
24勝(11KO)1敗1分
初防衛
井岡
32勝(17KO)7敗1分
〔飯田〕
ガルシア (USA)9・・・99・・・・・9|116
ビソ (VEN)99・・99・・・・・9|115
内田 (JPN)99・・99・・・・99|114
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
内田 (JPN)・・999・・999・・|114
ビソ (VEN)・・999・9999・・|113
ガルシア (USA)・9999・99999・|111
〔井岡〕
予想に反した日本人対決
王者が辛うじて防衛
初防衛戦を迎えたサウスポーの飯田と3階級制覇への4度目のチャレンジとなる井岡。この日本人対決は予想に反して井岡のぺ一スで始まり、序盤から挑戦者のジャブ、ワンツーがヒットし続けた。3回、不調の飯田はボディブローに活路を見出そうとするが、4回になると井岡が巧みな波状攻撃で切り返す。
5回には偶然のバッテイングで飯田が右目上をカットし、井岡は減点。その出血で飯田の視界が遮られたせいか、6回も井岡のジャブが冴えた。しかし、飯田も7回から奮起し、上下への攻撃で強引に挑戦者を攻め立てる。8回終了間際には飯田の左がカウンターとなって決まり、続く9,10回も王者に勢いが感じられる。だが、終盤になって井岡が再び攻勢。井岡の右が再三当たり、接戦のうちに試合は終了した。微妙な内容だったが、2-0の判定で飯田が王座を死守した。
WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
名古屋市総合体育館レインボーホール[愛知県]観衆◎8000人
1998年7月26日
★チャンピオン
飯田覚士
(緑)52.1キロ
判定
★挑戦者1位
フリオ・ガンボア
レフェリー
ラファエル・ラモス(USA)
飯田
25勝(11KO)1敗1分
2度目の防衛
ガンボア
23勝(14KO)3敗
〔飯田〕
サンドバル (VEN)999・・・・・9・・9|115
サム (PAN)・999・・・9・・・9|115
タバット (USA)9999・・・・9・・・|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
タバット (USA)・・9・9999・99・|113
サム (PAN)9・9・・99・999・|113
サンドバル (VEN)・・99・999・99・|113
〔ガンボア〕
*飯田は3回バッティングにて減点1
積極的な攻撃で失点を晩回
指名挑戦者を退ける
飯田にとっては苦しいスタートだった。指名挑戦者ガンボアのスムーズなボクシングに先手を奪われ、3回にはバッティングで減点も取られた。4回、飯田も右カウンターを返すが、5回になると王者は右目上をカットして、さらに追い込まれることになった。
だが、これによって逆に奮起した飯田が6回から反撃に転じるのだ。ラウンド中盤に放った左が同じサウスポーのテンプルを直撃し、ガンボアが途端に弱気になる。このため7回以降は飯田が圧力をかけ、ガンボアが下がるという、前半とは正反対の形になった。そして、その積極的な攻めで王者が失点を挽回していく。9回にガンボアの左右が当たることもあったが、飯田はクリンチで後続打を断ち切る。終盤も両者がもつれ合う中で、飯田の右フックが再三ヒット。正式な判定も小差ながら3-0で飯田を支持していた。
WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
名古屋市総合体育館レインボーホール[愛知県]観衆◎6600人
1999年7月31日
★挑戦者11位
戸高秀樹
(緑)52.1キロ
判定
★チャンピオン
ヘスス・ロハス
レフェリー
ラファエル・ラモス(USA)
戸高
15勝(7KO)2敗1分
タイトル獲得
口ハス
32勝(16KO)8敗3分1NC
〔戸高〕
フオード (USA)・・・9・99・・・99|115
ガルシア (USA)・・・99・99・・・9|115
メロネン (FIN)・・・9・99・・・99|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メロネン (FIN)989・・・・99・・・|114
ガルシア (USA)989・・・・・999・|113
フオード (USA)999・9・・999・・|113
〔ロハス〕
気迫の突進で
大ペテランを攻略
4回負傷引き分けに終わった4ヵ月前の初戦と同様に、チャレンジャーの戸高が先制攻撃を仕掛けた。開始直後に右クロスをかぶせ、そのままの勢いで突進を繰り返していく。2回終盤には右ショート・カウンターで大ベテランのロハスが腰砕けのダウン。これで波に乗った戸高が、3回もジャブからの右を精力的に飛ばし続けた。しかし、35歳のロハスも4回から反撃し、戸高の出鼻に左アッパー、フック、右ストレートを合わせて巧さを見せつける。7,8回もタフな消耗戦となるが、戸高の気迫が薄れることはなかったようだ。後半の9回になると、26歳の戸高がスパートをかけ、主導権を奪回。挑戦者が左を突いて前進し、右からのラッシュに出る。続く10回も戸高の右が効果的だ。ラスト2回は互角の展開となるが、戸高がリードを守りきって念願の世界王座を奪取した。
WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
名古屋市総合体育館レインボーホール[愛知県]観衆◎8500人
2000年4月23日
★チャンピオン
戸高秀樹
(緑)52.0キロ
TKO11回0分38秒
★挑戦者3位
ヨックタイ・シスオー
(タイ)52.1キロ
レフェリー
スタンリー・クリストドルー
(RSA)
戸高
17勝(8KO)2敗1分
2度目の防衛
ヨックタイ
23勝(14KO)2敗1分
〔戸高〕
ウィレンスキー(USA)9・999・9・・・|95
ワトソン (USA)・・99999・・・|95
メイヤース (NED)99999・9・・・|94
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メイヤース (NED)・・・・・9・888|93
ワトソン (USA)99・・・・・888|92
ウィレンスキー(USA)・9・・・9・898|93
〔ヨックタイ〕
これぞタフガイ・コンテスト
王者が一撃で打撃戦制す
好戦派同士の対戦は予想通りの打撃戦で幕を開けるが、先手をとったのは元王者の挑戦者ヨックタイの方だった。積極的に出る戸高にタイ人のジャブ、左右アッパーが決まり続け、3回には右ストレートと左フックで王者がピンチに追い込まれる。続く4,5回もヨックタイの的確なブローが上回るが、6回になると挑戦者はぺ一スダウン。ここから戸高が反撃に転じ、テンポのいいワンツーでヨックタイを押し始めた。8回終了問際には戸高の左フックでヨックタイがキャンバスに崩れ落ち、カウントが入る。これで流れは決定的になり、あとは王者が一方的な左右で挑戦者を攻め続けた。9回終盤の左アッパーでヨックタイはますます追い込まれ、10回にも戸高が猛攻撃を見せる。迎えた11回、ヨックタイがロープによろけたところでストップがかかり、戸高が2度目の防衛に成功した。
WBC世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎7000人
2000年8月27日
★挑戦者4位
徳山昌守
(金沢)52.0キロ
判定
★チャンピオン
曺 仁柱
(韓国)52.1キロ
レフェリー
ガダルペ・ガルシア(MEX)
徳山
22勝(5KO)2敗1分
タイトル獲得
曺
18勝(7KO)1敗
〔徳山〕
フィリポ (USA)・・・・・・・・・・9・|119
エレスペル (USA)9・・・9・・・・・9・|117
シーリー (USA)・・・・9・・・・・89|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
シーリー (USA)9998・99999・・|110
エレスペル (USA)・998・9999999|109
フィリポ (USA)999899999999|107
〔曺〕
挑戦者が積極策で
王座に駆け上がる
東洋太平洋王座を2度防衛し、世界の舞台を迎えた徳山。序盤から目立っていたのはその徳山の積極性だった。鋭いステップインで曺を攻め立て、2回に右ストレートを打ち抜く。3回にもジャブが冴え、続く4回になると見事な右で王者からダウンを奪った。
5回から王者が強引な反撃を見せ、コンパクトな左右を返してくるが、徳山の勢いは落ちない。多彩な左、右ストレートで曺の反撃を寸断しながら、挑戦者が主導権を握り続ける。9,10回には徳山も疲れを感じさせるようになり、曺が左右フックで追い上げるが、徳山は右ストレートを返して譲らなかった。11回、バッティングで吉が出血し、徳山が減点を受けるが、ポイントの上ではすでに安全圏に入っていた。王者の反撃を抑えきった徳山が大差の判定勝ちをつかみ、曺の6度目の防衡を阻んだ。
WBC世界スーパー一フライ級タイトルマッチ
舞州アリーナ[大阪府]観衆◎8000人
2000年12月12日
★チャンピオン
徳山昌守
(金沢)52.0キロ
判定
★挑戦者5位
名護明彦
(白井・具志堅)52.0キロ
レフェリー
フランク・カプチーノ(USA)
徳山
23勝(5KO)2敗1分
初防衛
名護
18勝(12KO)2敗
〔徳山〕
ジェンキン (USA)・・・・・8・・・・・・|118
桑田 (JPN)・・・・・8・9・・・・|117
浦谷 (JPN)・・・・・8・9・・・・|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
浦谷 (JPN)99899・9・9999|109
桑田 (JPN)99899・9・9999|109
ジェンキン (USA)99899・999999|108
〔名護〕
一発を犯う挑戦者
王者のワンサイド・ゲームに
王者の徳山が初回からジャブ、右ストレートをテンポよく繰り出して、サウスポー名護の先手をとり続けた。対するチャレンジャーは一発を狙うあまり、手数が極端に少ない。2回には徳山の左右フックが決まり始め、3回に右ストレートからの左で名護がダウン。名護も6回になると左のビッグ・パンチで徳山を倒し返すが、挑戦者はこの唯一のチャンスでも追い討ちのパンチは出せなかった。
7回から試合は元の形に戻り、細かいステップを踏む王者が、スピーディーな左右ストレートを決めていく。終盤、名護が強引なアタックを試みるが、ここでも徳山の右ストレートが的確にヒットし、王者ぺ一スのまま試合は終了。ダウンを奪われた6回以外の、ほぼすべてのラウンドを支配した徳山が、初防衛に成功した。名護は2度目の世界タイトル挑戦に失敗。
WBA世界スーパー一フライ級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万500人
2001年3月11日
★挑戦者9位
セレス小林
(国際)52.1キロ
TKO10回2分09秒
★チャンピオン
レオ・ガメス
(ベネスエラ)51.6キロ
レフェリー
アルマンド・ガルシア(USA)
小林
23勝(14KO)4敗3分
タイトル獲得
ガメス
33勝(25KO)8敗1分
〔小林〕
ラモス (PUR)・・・・・・・・9 |89
李 (KOR)・・・9・・・・9 |88
メロネン (FIN)・・・・・・・・9 |89
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メロネン (FIN)999・9999・ |83
李 (KOR)999・999・・ |84
ラモス (PUR)99999999・ |82
〔ガメス〕
4冠王に果敢なアタック
同挑戦でタイトル奪取
2度目の世界挑戦となる小林が、強打の4冠王に対して勇敢なボディ・アタックを仕掛け続けた。要所で繰り出す左クロスも、いい角度で決まっていく。37歳のガメスも4回に自慢の右ブローを打ち込むが、小林はひるまなかった。5回になるとボディ、顔面への攻撃でぺ一スを奪い返し、左ストレートで王者の右目上を切り裂く。6回にはサウスポーの挑戦者が左からの連打でガメスをダウン寸前に陥れ、続く7回にも左のボディ・ストレートを好打する。9回、ガメスの右で小林が逆に追い込まれるというピンチもあったが、フィニッシュは次の10回にやってきた。逆転を狙って出るガメスに対し、小林も引かずに打ち合う。そして、挑戦者の左カウンターを顎に受けたガメスが前のめりにダウン。南米人はフラつきながら立ち上がってきたが・レフェリーは続行を許さなかった。
WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万2000人
2001ねん9月1日
★チャンピオン
セレス小林
(国際)52.1キロ
判定
★挑戦者4位
ヘスス・ロハス
(ベネスエラ)51.9キロ
レフェリー
ルイス・パポン(PUR)
小林
24勝(14KO)4敗3分
初防衛
ロハス
35勝(19KO)9敗3分1NC
〔小林〕
オベッセン (DEN)・9・99・・・・・9・|116
ビラロボス (PAN)99・99・9・9・・9|113
プラヤドサブ (THA)・9・99・・・9・・9|115
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
プラヤドサブ (THA)9・9・・999・99・|113
ビラロボス (PAN)・・9・・9・9・9・・|116
オベッセン (DEN)9・9・・9999・・・|114
〔ロハス〕
際どい主導権争い
追い上げかわし逃げきる
初回は明らかな小林ぺ一スだった。37歳のベテラン、ロハスの動きはスローで、対する王者が思い通りのブローを次々にヒットさせて、好スタートを切る。しかし、2回になるとロハスの方もテンポを上げ始め、老獪な左フック、右ストレートを繰り出してきた。ここからは際どい主導権争いとなり、サウスポーの小林が左フック、ストレートを好打すれば、ロハスも左フックで巻き返していく。
6回、小林の左がカウンターとなって決まるが、ロハスはそれ以上の決定打を許さない。それでも8回からは小林がやや強引な攻撃を展開し、ヒット数、パンチの質でロハスを上回った。ロハスもしぶとく手を出したが、王者がその追い上げをかわして、最終ゴングにたどり着いた。オフィシャルの判定は2-1で小林を支持。小林が初防衛に成功し、ロハスは同王座への返り咲きに失敗した。
WBC世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万人
2001年9月24日
★チャンピオン
徳山昌守
(金沢)52.1キロ
判定
★挑戦者1位
ジェリー・ペニャロサ
(フィリピン)52.1キロ
レフェリー
ラリー・オコーネル(GBR)
徳山
25勝(6KO)2敗1分
3度目の防衛
ペニャロサ
43勝(28KO)4敗2分
〔徳山〕
ウィリアムス (USA)・・99・・・・9・99|115
ハセット (USA)・・99・・・・9・99|115
キーン (GBR)・・99・・・・9・9・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
キーン (GBR)99・・9999・9・・|113
ハセット (USA)99・・9999・9・・|113
ウィリアムス (USA)99・・9999・9・・|113
〔ペニャロサ〕
中盤の貯金を守リ
指名挑戦者を退ける
最強の挑戦者を迎えた徳山が、序盤から積極的に仕掛けた。サウスポーへの右を繰り出し、ペニャロサの先手をとろうとするが、クリーンヒットは少ない。3回になると逆にペニャロサが圧力をかけ始め、ポイントを連取していく。しかし、徳山がそのまま劣勢になることはなかった。5回から素早い波状攻撃を開始し、リズムに乗って右ストレートと左フックを飛ばし続ける。挑戦者も柔軟な攻防で対抗するが、動きの速さではやはり徳山が上だった。両目上の傷に苦しむペニャロサは、9回に前頭部もカット。10回には徳山とのスピード差も、さらにはっきりしてくる。挑戦者は11回からスパートし、左右フックで徳山に迫ったが、激しい出血のせいで、その反撃には迫力が感じられなかった。徳山が中盤の貯金を守り抜き、僅差判定勝ちで3度目の防衛に成功した。
WBC世界スーパー・フライ級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎8000人
2002年3月23日
★チャンピオン
徳山昌守
(金沢)52.1キロ
KO9回2分42秒
★挑戦者5位
柳光和博
(チャイナクイック)52.1キロ
レフェリー
桑田和昌(JPN)
徳山
26勝(7KO)2敗1分
4度目の防衛
柳光
13勝(4KO)2敗3分
〔徳山〕
森田 (JPN)・・・・・・・・ |80
カステラーノ(USA)・・・・・・・・ |80
バン・ホイ (USA)・・・・・・・・ |80
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
バン・ホイ (USA)99999999 |72
カステラーノ(USA)99999999 |72
森田 (JPN)99999999 |72
〔柳光〕
一戦ごとの成長を見せつけ
圧倒的な強さを誇示
前王者、指名挑戦者を立て続けに撃破してきた徳山は、一戦ごとに成長している。そして、この日も同じ日本のジム所属の挑戦者を圧倒した。立ち上がりはサウスポーの柳光と、リードブローの探り合い。徳山のシャープなステップワーク、左ジャブが冴える2回には徳山が距離感をつかんだようだ。多彩な角度から左ジャブをヒットさせ、いきなりの右ストレートで柳光の顔面を弾く。序盤から試合はほぼ一方的な展開となっていった
ポジションを巧みにキープする王者の前に、挑戦者は手が出なくなっていく。徳山は右ストレートを自在にヒットし、空振りしてもすかさず左をフォロー。ごく稀にヒットする柳光の左ストレートも、局面は打開できない。9回、狙いすました徳山の右ストレートで、柳光は後ずさりしてダウン。立ち上がったものの、レフェリーは10カウントを数え上げた。
世界バンタム級タイトルマッチ
愛知県体育館[愛知県]観衆◎1万人
1965年5月18日
★挑戦者1位
ファイティング原だ
(笹崎)53.4キロ
判定
★チャンピオン
エデル・ジョフレ
(ブラジル)53.5キロ
レフェリー
バー二一・ロス(USA)
原田
40勝(18KO)3敗
タイトル獲得
ジョフレ
47勝(37KO)1敗3分
〔原田〕
エドソン (USA)・・4・34・・・・・・・・・|71
加藤 (JPN)・・・・3・・・・・・・・4・|72
ロス (USA)・・4・4・・・・・・・44・|71
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ロス (USA)4・・4・・・・44・4・・4|69
加藤 (JPN)4・・3・4・・・・・・・・4|70
エドソン (USA)4・・4・・・・・4・・・・・|72
〔ジョフレ〕
圧倒不利予想覆し
難攻不落の王者を攻略
ジョフレの比類なき強さは世界中に轟き渡っていた。パワーに加え、テクニックも堅実で、ミスター・パーフェクトと呼んでもいいくらいだ。ここまで8連続KO防衛。一流どころをすべて屠り、、原田の勝利を信じる人は皆無に近かった。しかし、名古屋で行われる初の世界戦はまさに奇跡の舞台となる。原田の根性は特筆ものだった。
スタートから原田は足を使い、スピーディーなパンチを投げつけていった。ジョフレは、原田の動きを静かに読んだ。だが、4回にその表情が一変する。原田の右アッパーがクリーンヒットし、、あのジョフレがダウン寸前となった。しかし、5回、今度はジョフレが執念の反撃を開始。原田の足元がフラついた。6回以降は意地がぶつかり合い、素晴らしい攻防に終始した。判定は2-1で原田。難攻不落といわれた王者をついに攻略した。
世界バンタム級タイトルマッチ
愛知県体育館[愛知県]観衆◎1万2000人
1967年1月3日
★チャンピオン
ファイティング原だ
(笹崎)53.4キロ
判定
★挑戦者1位
ジョー・メデル
(メキシコ)53.1キロ
レフェリー
加藤正男(JPN)
原田
47勝(18KO)3敗
3度目の防衛
メデル
63勝(40KO)21敗6分
〔原田〕
石渡戸 (JPN)・・・・・4・・・4・・・・4|72
柏木 (JPN)・・・・・・・・・4・・・・4|73
加藤 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・4|67
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
加藤 (JPN)・44・3・・4・44・4・・|67
柏木 (JPN)・・4・4・44・4444・・|67
石渡戸 (JPN)・・4・3・・4・4444・・|67
〔メデル〕
見事にはまった作戦
痛烈TK0敗の借リ返す
原田は4年前、無冠時代にメデルに痛恨のTKO負けを喫していた.今回は防衛戦でもあり、「絶対に雪辱を果たす」と燃える思いで開始を待った。一方のメデルも“無感の帝王”の返上を期した。“ロープ際の魔術師”と呼ばれたほどの絶品のカウンター健在。白熱戦は必至だった。当時の原田は減量にかなり苦しみ、10キロ前後もそぎ落としていた。スタミナも心配されたが、巧妙な作戦に出た。
カウンターを警戒して、慎重にスタート。メデルがロープ際にじりじり下がっても決して深追いはしなかった。原田のヒット・アンド・アウェー戦法にさしものメデルも戸惑いは隠せない。それでも右カウンター狙ってきたが、原田は巧みにかわした。後半に入るとメデルが強引に攻めてきた。しかし、追う足がなく、原田を捕らえられない。判定は文句なしに原田へ。見事な作戦勝ちだった。
WBA世界バンタム級王座決定戦
守口市民体育館[大阪府]観衆◎4600人
1987年3月29日
★同級6位
六車卓也
(大阪帝拳)53.5キロ
KO5回2分50秒
★同級2位
アサエル・モラン
(パナマ)53.5キロ
レフェリー
ラリー・ロザディラ(USA)
六車
25勝(19KO)1敗1分
タイトル獲得
モラン
16勝(7KO)2敗
〔六車〕
マッコンキー (USA)・99・ |38
モレット (USA)999・ |37
ロルダン (VEN)・・・・ |40
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ロルダン (VEN)9・99 |37
モレット (USA)・・・9 |39
マッコンキー (USA)9・・9 |38
〔モラン〕
エンドレス連打で
原田に続くパンタム級王者に
当初はWBAバンタム級王者のベルナルド・ビニャンゴに挑戦するはずだった六車だが、王者が突然タイトルを放棄。2位のモランと空位の王座を争うことになった。試合は序盤からスリリングだった。六車はいつも通り徹頭徹尾のラッシュ戦法で前へ出て、左ジャブを好打する。モランも六車の出鼻に右ストレートを放ち、右が相打ちになるシーンもあった。2回、六車が左ジャブから始まって左フックをレバーから顔面に打ち分けるが、モランもスピーディーなワンツー、右アッパーで応戦する。3回には右ストレートをカウンターされ鼻血をにじませる六車。しかし4回になって一気に失速したモランの足を六車はラシュで止め、左右フックを全開。何とかインターバルにこぎ着けたパナマ人だったが、続く5回に六車が猛ラッシュを見せ、2度ダウンを奪って勝利と王座をもぎ取った。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
守口市民体育館[大阪府]観衆◎3900人
1991年9月19日
★挑戦者6位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.1キロ
TKO10回終了
★チャンピオン
グレグ・リチャードソン
(アメリカ}52.6キロ
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
辰吉
7勝(6KO)1分
タイトル獲得
リチャードソン
29勝(4KO)5敗
〔辰吉〕
ジェンキン (USA)・・9・・・9・・・ |98
エレスペル (USA)・・9・・99・・・ |97
シーリー (USA)・・9・・99・・・ |97
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
シーリー (USA)99・99・・999 |93
エレスペル (USA)99・99・・899 |92
ジェンキン (USA)99・999・998 |91
〔リチャードソン〕
ペテラン王看を鮮やかに攻略
ある神話の本編が始まった
17歳で全日本社会人選手権を制覇、プロデビュー4戦目の最短タイ記録で日本王座へ駆け上がった“稀代の天才”が、今度はプロ8戦目という日本最短記録で世界王座を獲得した。当代一流のテクニシャン、歴戦の兵リチャードソンを相手に、辰吉は序盤から積極果敢な攻撃を仕掛ける。グイグイとプレッシャーをかけ左フックのボディブローを叩き込む。左ジャブ、右フックもいい。4回には顎への鋭い右クロスが決まり、王者は棒立ち。中盤からリチャードソンが反撃に転じ、連打、左右アッパーで挑戦者を苦しめたが、8回、10回の豪雨ともいえるエンドレス集中打はまさに辰吉の真骨頂。さすがの王者も11回開始のゴングを聞いても椅子から立ち上がれず試合放棄。この瞬間、世界王者不在の日本に辰吉丈一郎という21歳のスーパースターが誕生した。
WBC世界バンタム級王座統一戦
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万5000人
1992年9月17日
★暫定チャンピオン
ビクトル・ラパナレス
(メキシコ)53.3キロ
TKO9回1分19秒
★チャンピオン
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.1キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
ラバナレス
35勝(19KO)10敗2分
3度目の防衛
辰吉
7勝(6KO)1敗1分
〔ラバナレス〕
ジェンキン (USA)・・9・・・・・ |79
ミン (USA)・・9・・・・・ |79
カステラーノ(USA)9・9・・・・・ |78
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
カステラーノ(USA)・9・99998 |73
ミン (USA)・9・99999 |74
ジェンキン (USA)・9・99999 |74
〔辰吉〕
重くのしかかる1年のブランク
変則戦法に巻き込まれ初黒星
タイトル獲得後、左目網膜裂孔のトラブルから1年のブランクを余儀なくされた辰吉は、その間に暫定王者となったラバナレスとのタイトル統ー戦に臨んだが、乱打にさらされタイトルを失うとともに初の黒星を喫した。初回の主導権争いで、早くも辰吉はラバナレスのナタのようなフック、スピードのない左ストレートを浴びてしまう。テンポの異なる挑戦者の変則的なボクシングが正統派の辰吉を戸惑わせるのだ。
3回に右をカウンターで決め、リズムをつかみかけた辰吉だが、以降は再びラバナレスのぺ一スに巻き込まれ、守勢に追い込まれる。7回にはラバナレスの左右フックでフラつき、8回もサウスポーにスイッチした挑戦者の連打にさらされた。そして9回、再び挑戦者の乱れ打ちにあったところでタオル投入。そのままレフェリーの胸に抱えられた。
WBC世界バンタム級暫定王座決定戦
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎8000人
1993年7月22日
★同級2位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.0キロ
判定
★同級3位
ビクトル・ラパナレス
(メキシコ)53.0キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
辰吉
9勝(7KO)1敗1分
タイトル獲得
ラバナレス
36勝(19KO)12敗2分
〔辰吉〕
ジェンキン (USA)・9・・・9999・・・|115
ミン (USA)・9・・・99・・9・・|116
ホントンカム(THA)・・9・9999・9・・|114
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ホントンカム(THA)9・・9・・・・9・99|115
ミン (USA)9・99・・・・9・99|114
ジェンキン (USA)9・99・・・・・999|114
〔ラバナレス〕
10ヵ月ぶリの再戦に
壮絶な打撃戦で雪辱
王者・辺丁一の負傷により暫定王座決定戦で対時した両者。これが2度目の対決で、前回はラバナレスがTKO勝ちしている。
初回、辰吉は上体を沈めて相手を追いながら左を突き、右フックでのけぞらせた。2回は左アッパーを上下に浴びるが、3回からは左から右、左から右とフォローのパンチも繰り出し優勢に試合を運ぶ。しかし5回、ボディを狙い打たれて失速すると、フック、アッパーを顔面に浴びて右目上をカット。ラバナレスは攻勢を強め、見栄えは悪いが、正確なフックを次々に放ち、7回、8回と辰吉をピンチに陥れる。1O回には左フックでグラつかせ、右アッパーを突き上げた。
辰吉はラスト2回で盛り返す。激しくパンチを応酬する中で、顎が上がるシーンもあったが、左フックに右ストレート、そしてショートのコンビネーションなどで打ち勝った。
WBC世界バンタム級王座統一戦
名古屋市総合体育館レインボーホール[愛知県]観衆◎9800人
1994年12月4日
★チャンピオン
薬師寺保栄
(松田)53.4キロ
判定
★暫定チャンピオン
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.2キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
薬師寺
23勝(16KO)2敗1分
3度目の防衛
辰吉
10勝(8KO)2敗1分
〔薬師寺〕
カステラーノ (USA)・・・99・・・・・99|116
浦谷 (JPN)9・・99・・・9・9・|115
森田 (JPN)99・99・・・・・99|114
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
森田 (JPN)・・9・・99999・・|114
浦谷 (JPN)・99・・999・9・・|114
カステラーノ (USA)999・・99999・・|112
〔辰吉〕
空前の日本人王者対決
激しいパンチの応酬に終始
前王者の辺丁一が負傷中に暫定王者についた辰吉。復帰した辺から王座を奪った薬師寺空前の人気を集めた決戦は、戦前の舌戦をしのぐ、過激なファイトだった。
序盤戦は薬師寺がやや優勢。執拗に繰り出す左が、辰吉の顔面を小突く。3回は一進一退の打ち合い。辰吉は4回からぺ一スアッフし、右を浴びながらもノーガードで迫り、左右をまとめ打つ。薬師寺がブロッキングから反撃に転じたのは6回。ジャブから右アッパーをクリーンヒット。左まぶたを切った辰吉を左アッパー、右カウンターで窮地に陥れる。7回以降も薬師寺が中間距離で支配。辰吉はまぶたの腫れで左目の視界を失いながらも、10回から連打で猛然と追い上げ、最終回はなりふり構わずパンチの雨を降らせた。薬師寺は辛抱して倒れず、中盤から後半にかけてのポイント・リードを守り抜いた。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
大阪城国際文化スポーツホール[大阪府]観衆◎1万1000人
1997年11月22日
★挑戦者2位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.5キロ
TK07固1分54秒
★チャンピオン
シリモンコン・ナコントンパークビュー
(タイ)53.5キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
辰吉
15勝(12KO)4敗1分
タイトル獲得
シリモンコン
16勝(6KO)1敗
〔辰吉〕
フィリポ (USA)・9・・・9 |58
カツマレク (USA)・・9・・9 |58
スミス (USA)・99・・9 |57
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
スミス (USA)9・・98・ |56
カツマレク (USA)99・88・ |54
フィリポ (USA)9・998・ |55
〔シリモンコン〕
伝説の再スタート
劇的TK0で王座返リ咲き
世界戦で3連敗し、もう後がない27歳の辰吉と上昇気流に乗る20歳の無敗王者。勢いの面から考えると辰吉の勝ち目は極めて薄かったが、それだけにこの試合は劇的なものとなった。両者は序盤から緊迫した攻防を展開。辰吉がジャブからの右、左フックを放てば、シリモンコンも左右強打を返していく。そして、最初のヤマとなる5回は壮絶な打ち合いで始まった。その中で辰吉が左ボディ・アッパ一を決め、さらに右を打ち抜くとタイ人はついにダウン。だが、限りなく敗者に近い状態になりながら王者は這い上がり、6回に大反撃を見せた。辰吉があわやダウンという場面もあるが、フィニッシュが訪れるのは次の7回だった。守勢の辰吉が力を込めた左ボディブローを叩き込み、2度目のダウンを奪う。ニリモンコンはそれでも立ち上がったが、連打を受けたところでストップがかかった。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万2000人
1998年3月8日
★チャンピオン
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.5キロ
判定
★挑戦者4位
ホセ・ラファエル・ソーサ
(アルゼンチン)52.9キロ
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
辰吉
16勝(12KO)4敗1分
初防衛
ソーサ
30勝(21KO)10敗5分
〔辰吉〕
ハーバー (AUS)・・・・9・・・9・・9|117
アクナ (MEX)・・・・・9・・9・99|116
ホイ (USA)・・・・・・・・・・・・|120
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ホイ (USA)999999999999|108
アクナ (MEX)99999・99・9・・|112
ハーバー (AUS)9999・999・99・|111
〔ソーサ〕
キャリア初の初防衛
ワンサイドの判定勝ち
典型的なディフェンス型のソーサに、辰吉はとどめを刺すことはできなかったが、内容的にはワンサイドだった。初回の探り合いを経て、試合は2回からぺ一スアップ。そして目立っていくのは辰吉のブローばかりである。ソーサも堅いガードと執物なボディワークを見せるが、それ以上のものはない。
4回には辰吉の右を顎に受けてソーサが後退する。5回以降も辰吉の手数が圧倒的に勝り、ジャブと左フック、右ストレートが決まっていった。7回、挑戦者が珍しく右を当てるが、辰吉のボディブローがその反撃を断ち切ってしまう。後半も展開は変わらず。11回になると辰吉はソーサをロープに詰めて連打。ソーサは最終回にようやく右をクリーンヒットさせるが、辰吉も右を返して譲らなかった。大差の勝利を収めた辰吉が、そのキャリアで初の“初防衛”に成功した。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万7000人
1998年8月23日
★チャンピオン
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.5キロ
負傷判定6回終了
★挑戦者1位
ポーリー・アヤラ
(アメリカ)52.6キロ
レフェリー
ガダルペ・ガルシア(MEX)
辰吉
17勝(12KO)4敗1分
2度目の防衛
アヤラ
25勝(11KO)1敗
〔辰吉〕
チュン (KOR)・・・・9・ |59
フィリポ (USA)・・・・9・ |59
シルビ (ITA)9・・・9・ |58
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
シルビ (ITA)・999・・ |57
フィリポ (USA)9999・・ |56
チュン (KOR)9999・・ |56
〔アヤラ〕
突然のストップ
不完全燃焼のV2
2度目の防衛戦に辰吉が迎えたのは、アマ277勝25敗、プロでは無敗の指名挑戦者アヤラ。初回、サウスポーのアヤラの左ストレートを浴び、辰吉が腰を落としかける。しかし、王者がぺ一スを乱すことはなかった。左右へステップを刻み、左を伸ばしていく。2回には右ストレートでアヤラを後退させた。辰吉は左ボディブローや、いきなりの右ストレートをヒット。試合を支配しかけていた。
5回、アヤラのパンチで辰吉の顎が上る。さらにはローブローを受けた際にバッテイングで右目尻をカット。そして6回、挑戦者が踏み込んだときに両者の頭が激突し、辰吉は右目上を深くカットしてしまう。ドクター・チェックでなんとか続行が許可され、’アヤラは1ポイントの減点。しかし、7回が始まる直前にレフェリーが突然、試合を止めて裁定は判定に委ねられた。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
大阪市中央体育館[大阪府]観衆◎9300人
1998年12月29日
★挑戦者4位
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
(タイ)53.5キロ
KO6回2分52秒
★チャンピオン
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.5キロ
レフェリー
チャック・ハセット(USA)
ウィラポン
21勝(15KO)1敗
タイトル獲得
辰吉
17勝(12KO)5敗1分
〔ウイラポン〕
サモン (USA)・9・・・ |49
ソリス (MEX)99・・・ |48
ホイ (USA)99・9・ |47
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ホイ (USA)・・9・9 |48
ソリス (MEX)・・999 |47
サモン (USA)9・999 |46
〔辰吉〕
よもやの結末
偉大なカリスマが衝撃のK0負け
2回までは3度目の防衛戦を迎えた辰吉が、いつも通りの動きを見せていた。スピーディーなジャブとそれに続く左右で元王者の挑戦者の出方をうかがっていく。相手のパンチに対する反応もいい。しかし3回、強引な接近を試みたところにウィラポンの右をもらい、リズムが狂いだした。4回になると辰吉は鼻血を流し始め、5回も王者の空振りが目立つ。
そうしている間にもウィラポンは着々とヒットを重ね、辰吉にダメージを与えていった。迎えた6回、打ち下ろしの右からの左で、辰吉は耐えきれずにダウン。王者はうつろな表情で再開に応じたが、世界王座への返り咲きを目指すタイ人はチャンスを見逃さない。すぐに連打を浴びせ、さらに右ストレートを2発連続で打ち込む。辰吉がスローモーションのように倒れ込み、大の字になった瞬間にレフェリーが試合をストップした。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
大阪ドーム[大阪府]観衆◎2万7000人
1999年8月29日
★チャンピオン
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
(タイ)53.5キロ
TKO7回0分44秒
★挑戦者3位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)53.5キロ
レフェリー
リチャード・スティール(USA)
ウイラポン
23勝(17KO)1敗
2度目の防衛
辰吉
17勝(12KO)6敗1分
〔ウィラポン〕
フィリポ (USA)・・・・・・ |60
フラハーティ (USA)・・・・・・ |60
カステラーノ (USA)・・・・・・ |60
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
8ヵ月ぶりの同戦は
壮絶TK0で王座奪回ならず
前年12月に痛烈なKO負けを喫し、王座を明け渡した辰吉にとって、これは8ヵ月ぶりの雪辱戦。序盤は辰吉がその意気込みを感じさせ、ジャブとワンツーで試合を組み立てようとするが、王者が慌てる気配はなかった。2回には王者の右のタイミングが合い始め、早くもウィラポンがぺ一スを握りかける。そして3回、タイ人の打ち下ろしの右で辰吉がグラつき、そこから試合は一方的になってしまった。追撃の右を食って辰吉が再び膝を揺ろし、5,6回にも強烈な右で窮地に追い込まれる。それでも必死に踏ん張り、パンチを返そうとするが、その反撃にはもう力が入っていなかった。迎えた7回、満を持してウィラポンが詰めに入り、両目の腫れ上がった挑戦者にワンツーをヒット。この直後のワンツーで辰吉が後方に倒れそうになり、それを主審が受け止めて試合は終了した。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万2000人
2001年9月1日
★チャンピオン
ウィラポン・ナコンルアンプロモーション
(タイ)53.5キロ
引き分け
★挑戦者4位
西岡利晃
(帝拳)53.5キロ
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
ウィラポン
33勝(24KO)1敗1分
7度目の防衛
西岡
22勝(13KO)3敗2分
〔ウィラポン〕
スミス (USA)・99・・・9・・・9・|116
フィリポ (USA)9・9・9・9・・・99|114
カツマレク(USA)・99・9・9・・999|113
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
カツマレク(USA)9・・9・9・99・・・|115
フィリポ (USA)・9・9・9・999・・|114
スミス (USA)・・・999・999・9|113
〔西岡〕
世界まであと一歩
最大のホープが引き分ける
14ヵ月ぶりのこの再戦は西岡の形でスタートした。挑戦者がサウスポー・スタンスからの右ジャブ、素早いステップで自分の距離を保ち、3回には攻めにはやるウィラポンを左ストレートでフラつかせてみせる。4回に右目尻をカットしたウィラポンも、6回にボディブローを好打。7回、今度は挑戦者が左まぶたをカットしてしまうが、同じラウンド後半になると西岡の左ブローからの猛攻にタフな王者がダウン寸前に陥った。
これで西岡のチャンスがさらに広がったかに思えたが、8回からはウィラポンが力ての反撃を開始し、右ブローで挑戦者をたじろがせていく。まぶたからの出血が西岡を苦しめていたこともあり、9,10回も王者が優勢。ラスト2回に入って再び西岡が攻勢に転じ、鋭い左ストレートで追い上げたが、判定はドローで惜しくもベルトには手が届かなかった。
WBC世界ジュニア・フェザー級タイトルマッチ
蔵前国技館[東京都]観衆◎9000人
1976年10月9日
★挑戦者9位
ロイヤル小林
(国際)53.5キロ
KO8回0分48秒
★チャンピオン
リゴベルト・リアスコ
(パナマ)55.3キロ
レフェリー
ジェイ・エドソン(USA)
小林
21勝(18KO)2敗
タイトル獲得
リアスコ
24勝(12KO)6敗4分
〔小林〕
吉田 (JPN)・・・・・・・ |70
セデニョ (PAN)9・9・・9・ |67
エデソン (USA)・・・・・・・ |70
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
エデソン (USA)・99・・98 |65
セデニョ (PAN)・・・9・・8 |67
吉田 (JPN)・9・9・97 |64
〔リアスコ〕
階級を下げて再挑戦
“K0仕掛け人”が頂点へ
“KO仕掛人”の異名をとる天才強打者、小林がフェザー級から1階級下げて2度目の世界挑戦。減量に苦しんだリアスコをまったく問題にせず、豪快に切って落とした。スタートから積極的に距離を詰める小林は、2回終了間際に左右をヒットさせる・リアスコは頻繁にクリンチを繰り返すが、3回以降、小林はリアスコのクリンチを振りほどいてパンチを出していった。6回になると、小林が手数で圧倒し始め、7回に左フックを痛打。リアスコは仰向けにダウンし、ロープ最下段で後頭部をバウンドさせた。
8回、小林は猛然と襲いかかる。リアスコはスリップ・ダウンし、立ち上がったところに小林が右フックを決めて2度目のダウンを奪う。再開後の小林のラッシュに、王者はまたもやスリップ・ダウン。最後は小林が右フックを放ったところで主審が試合を止めた
WBC世界ジュニア・フェザー級タイトルマッチ
名古屋国際展示場[愛知県]観衆◎8500人
1991年2月3日
★挑戦者5位
畑中清詞
(松田)55.3キロ
TKO8回3分00秒
★チャンピオン
ペドロ・デシマ
(アルゼンチン)55.2キロ
レフェリー
ガダルペ・ガルシア(MEX)
畑中
22勝(15KO)1敗1分
タイトル獲得
デシマ
26勝(18KO)3敗
〔畑中〕
マーリー (NZL)899・・9・ |65
ジアンパ (USA)899・99・ |64
マクダビッシュ (NZL)899・・9・ |65
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
マクダビッシュ (NZL)・・・69・8 |63
ジアンパ (USA)・・・7・・8 |65
マーリー (NZL)・・・79・8 |64
〔デシマ〕
2階級上げての再挑戦で
ついに名古屋初の王者が誕生
88年、ジュニア・バンタム級でヒルベルト・ローマンに挑んで敗れた畑中が2階級上げて2度目の世界挑戦。強打の王者を相手に壮絶な戦いを制した畑中は、名古屋初の世界王者となった。初回終了間際、畑中がデシマのワンツーにダウンすると、場内にざわめきが広がる。ローマン戦の悪夢が蘇った。
続く2回、3回も劣勢は否めない。しかし4回、畑中の右フックで流れが変わる。すかさず右ストレートをフォローしてダウンを奪い、立ち上がった王者に左フックを浴びせてダウンを追加。さらにワンツーでダウンさせ、連打でこのラウンド4度目のダウンを奪ったのだ。7回に左でダウンを奪った畑中は、続く8回にも突き刺すような左でデシマをフロアヘ送り込む。通算6度目のダウン。レフェリーはカウント途中で試合終了を宣告した。劇的にして豪快な王座奪取だった。
WBC世界ジュニア・フェザー級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万7000人
1996年3月3日
★チャンピオン
ダニエル・サラゴサ
(メキシコ)55.3キロ
TKO11回2分47秒
★挑戦者1位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)55.3キロ
〔サラゴサ〕
スミス (USA)・・・・・・9・・・ |99
シーリー (USA)・・・・・・9・・・ |99
カツマレク (USA)・・・・・・9・・・ |99
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
カツマレク (USA)999999・999 |91
シーリー (USA)999999・999 |91
スミス (USA)899999・999 |90
〔辰吉〕
レフェリー
トニー・ペレス(USA)
サラゴサ
52勝(26KO)7敗3分
初防衛
辰吉
12勝(10KO)3敗1分
勝負を決めた初回の左
出血に泣き2階級制覇ならず
薬師寺保栄との王座統一戦に敗れてから再起後2連勝。2階級制覇をかけて古豪サラゴサに挑んだ辰吉だが、試合は王者のワンサイドに終わってしまった。開始直後の左で辰吉が大きく腰を落とした瞬間に、勝負の流れが決まってしまったのかもしれない。
2回以降もサウスポー、サラゴサの右フック、左ストレートが当たり続け、4回には辰吉が左目上をカット。中盤になると左フックとボディブローで抵抗した挑戦者だが、8回に今度は右目上をカットし、いよいよ苦境に立たされた。その両目からの出血が辰吉の視界を遮っていたこともあって、サラゴサの老檜な左が再三にわたってヒットしていく。8回に続いて、10回にもドクターのチェックが入る。11回、辰吉がサラゴサの連打をまともに浴び始め、さらに3度目のドクター・チェック。ここで医師が続行不能の判断を下した。
WBC世界ジュニア・フェザー級タイトルマッチ
大阪府立体育会館[大阪府]観衆◎8000人
1997年4月14日
★チャンピオン
ダニエル・サラゴサ
(メキシコ)55.2キロ
判定
★挑戦者3位
辰吉丈一郎
(大阪帝拳)55.1キロ
レフェリー
アーサー・マーカンテ(USA)
サラゴサ
55勝(27KO)7敗3敗
4度目の防衛
辰吉
13勝(11KO)4敗1分
〔サラゴサ〕
フィリポ (USA)・9・・・・・9・・98|115
カステラーノ(USA)・・・・9・・・・・98|116
バロベッキオ(ITA)・・・・・・・・・998|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
バロベッキオ(ITA)9999999・9・・・|112
カステラーノ(USA)9999・99999・・|111
フィリポ (USA)9・99999・99・・|112
〔辰吉〕
*サラゴサは12回にレスリング行為で減点1
雪辱を期したリマッチも
王者の牙城は揺がず
13ヵ月ぶりのリマッチに臨んだ辰吉だが、王者の老檜なボクシングを崩すことはできなかった。立ち上がりこそ軽快な動きを見せたが、3回あたりからサウスポーのメキシカンが左ストレートを立て続けにヒット。機を見て左ボディ・アッパーを織り交ぜていく。辰吉も果敢に前進し続けるが、パンチの正確さと効果ではサラゴサの方が上だ。
さらに中盤になると、王者のボディブローで辰吉の動きが止まりかける場面も増えてくる。サラゴサのクリンチ・ワークにも苦しみ、ポイント上の差も徐々に広がり続けた。それでも辰吉は終盤の11回から反撃。右ストレートと左フック、ボディブローでサラゴサを追い立てる。最終回、辰吉の執拗なアタックに、王者が思わず挑戦者を投げ飛ばしてしまう。果敢な反撃でラスト2回を押さえたが、逆転には至らなかった。
WBC世界スーパー・バンタム級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎7000人
2002年2月5日
★チャンピオン
ウィリー・ホーリン
(アメリカ)55.3キロ
引き分け
★挑戦者3位
佐藤 修
(協栄)55.3キロ
レフェリー
テリー・オコーナー(GBR)
ホーリン
28勝(13KO)1分
2度目の防衛
佐藤
25勝(14KO)1敗2分
〔ホーリン〕
ノパラット (THA)・・・99・999999|112
バロベッキオ (ITA)・・・9・9999・9・|114
ロドリゲス (PHI)・・・9・・999999|113
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ロドリゲス (PHI)997・99・・・・・・|113
バロベッキオ (ITA)998・9・・・・9・・|114
ノパラット (THA)997・・9・・・・・・|114
〔佐藤〕
ピンチ切り坂け頂点に肉薄も
判定は無情のドロー
これが1年ぶりのリング、2度目の防衛戦になるホーリンが、立ち上がりから積極的に攻めて出た。パワフルな左右フック、右ストレートで佐藤を追い立てていく。挑戦者も堅いガードで最小限に被弾を防いでいるが、劣勢は否めない。3回、右ストレートからの左を浴びて佐藤がダウン。再開後、ホーリンがラッシュし、右ストレートを直撃されて佐藤が2度目のカウントを聞いてしまう。
これで万事休すかと想われたが、ここから佐藤は驚異的な回復を見せる。仕留めにかかったホーリンの攻撃に耐え、続く4回からガードを固めて前進。懐にもぐり込んではボディブローを叩きつける。中盤からホーリンは失速し、逆に佐藤はぺ一スアップ。王者をロープに詰めてはボディブローから左右フックを顔面に切り返し優位に立つも、最終回の不可解なイーブン採点で勝利を逸した。
WBA世界スーパー・バンタム級タイトルマッチ
さいたまスーパーアリーナ[埼玉県]観衆◎8500人
2002年5月18日
★挑戦者6位
佐藤修
(協栄)55.Oキロ
KO8回1分58秒
★チャンピオン
ヨーダムロン・シンワンチャー
(タイ)55.3キロ
レフェリー
ギレルモ・ピネダ
佐藤
26勝(15KO)1敗2分
ヨーダムロン
27勝(12KO)1敗1分
〔佐藤〕
金 (KOR)・99・・・・ |68
タバット (USA)・99999・ |65
アバインザ (PHI)・99999・ |65
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
アバインザ (PHI)9・・・・・7 |66
タバット (USA)9・・・・・7 |66
金 (KOR)・・・99・7 |65
〔ヨーダムロン〕
完敗ムード打破
劇的な逆転K0で載冠
3ヵ月前の世界初挑戦で、分のいい引き分けを演じた佐藤が、WBA王座にターゲットを変更して再挑戦。一方、無敗の王者はこれが初防衛戦になる。
序盤、佐藤は王者のスピードと手数に圧倒され、3回には左フックを浴びてグラついてしまう。ほぼ一方的な王者ぺ一スだったが、5回に佐藤が左ボディ・フックをヒット。ヨーダムロンの上体が丸まる。迎えた7回、佐藤は右フックでダウンを奪うと、連打でダウンを追加。ダメージの残る王者は8回開始直後、マウスピースを入れ忘れて減点を取られる。意を決して攻めてきた王者と、佐藤は真っ向からパンチを交換。そして、挑戦者が左ボディブローを叩き込み、ヨーダムロンをキャンバスに沈めて10カウントを聞かせた。
白井義男の初奪取からちょうど50年。47人目の日本ジム所属王者が誕生した。
WBC世界フェザー級タイトルマッチ
ティファナアリーナ[メキシコティファナ]観衆◎9000人
1970年12月11日
★挑戦者4位
柴田国明
(ヨネクラ)57.1キロ
TKO12回終了
★チャンピオン
ビセンテ・サルジバル
(メキシコ)56.7キロ
レフェリー
レイ・ソリス(MEX)
柴田
32勝(21KO)2敗2分
タイトル獲得
サルジバル
37勝(27KO)2敗
〔柴田〕
エスピノサ (MEX) |117
ルアノバ (MEX) |116
ソリス (MEX) |116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ソリス (MEX) |114
ルアノバ (MEX) |114
エスピノサ (MEX) |116
〔サルジバル〕
伝説の“赤い鷹”を倒し
WBC王座を持ち帰る
名王者を相手に、敵地へ乗り込んでの世界挑戦とあって、予想は悲観的だった。しかも、腰痛で練習不足ともいわれていた。だか。見事にタイトルを持ち帰ってきた。試合開始のゴングとともに王者に突進していった柴田は右ストレートを2発顔面にヒット。左構えのサルジバルは早くもこれでたじろぐ。
中盤、ややぺ一スダウンした柴田だか、10回から再び攻勢に転じ、右ストレートをを立て続けに4発顔面にヒット。王者は鼻と口から激しく出血し、右頬も切ってトランクスを鮮血で染める。11回も柴田の連打は止まらず、接近戦を挑んだ王者は若い柴田の強打の餌食に。以降も、柴田の攻撃にサルジバルは防戦一方。そして、迎えた13回。ラウンド開始のゴングが鳴っても王者は腰を上げず、試合を棄権した。王者の顔は挑戦者のパンチで5ヵ所以上切れていたという。
世界ジュニア・ライト級タイトルマッチ
蔵前国技館[東京都]観衆◎7000人
1967年6月15日
★挑戦者1位
小林 弘
(中村)58.5キロ
KO12回1分56秒
★チャンピオン
沼田義明
(極東)58.6キロ
レフェリー
遠山甲(JPN)
小林
51勝(8KO)6敗2分
タイトル獲得
沼田
33脇(9KO)5敗
〔小林〕
ポップ (USA)・・・4・・・・・・・ |54
羽後 (JPN)・・・4・・・・・・・ |54
遠山 (JPN)・・・44・・・・・・ |53
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
遠山 (JPN)・・・・・3・4・4・ |51
羽後 (JPN)・・・・・3・44・・ |51
ポップ (USA)・・・・・3・・4・・ |52
〔沼田〕
初の日本人対決
芸術的K0で王座交代
日本人同士による記念すべき初の世界戦は、話題に話題を呼んだ。沼田が精密機械なら小林は雑草。対照的な両者の激突は予想がまったくつかなかった。試合前の舌戦も派手で、大いに試合を盛り上げた。前半は沼田がぺ一スをつかんだ。左ジャブで小林の接近を封じ、相手に持ち味を出させなかった。しかし、小林も絶好調でリングに上がっていた。伝家の宝刀クロスカウンターがいつ飛び出すのか。緊張感が包んだ。
6回、ついに出た。小林の右クロスが決まり、沼田ダウン。これを境に小林がリードを広げていく。自在のボクシングが冴えた。12回、リング中央で小林の右クロスがクリーンヒット。絶品の一打に沼田はロープ下まで飛ばされた。沼田は無意識の中、立ってきたが、力なく計3度目のダウンを喫し、敗れ去った。史上に残る芸術のKOだった。
WBA世界ジュニア・ライト級タイトルマッチ
日本武道館[東京都]観衆◎5000人
1967年12月14日
★チャンピオン
小林 弘
(中村)58.5キロ
判定
★挑戦者2位
ハイメ・パラダレス
(エクアドル)58.7キロ
レフェリー
ニッキー・ポップ(USA)
小林
53勝(9KO)8敗3分
2度目の防衛
バラダレス
55勝(31KO)3敗10分
〔小林〕
羽後 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|75
森田 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|75
ポップ (USA)・・・・・・・・・・・・・・・|75
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ポップ (USA)・・・・4444・3・3444|64
森田 (JPN)・・・・4・4443・3444|64
羽後 (JPN)・44・444443・3444|61
〔バラダレス〕
汚名返上を期待された王者
挑戦者の消極策に不完全燃焼
小林は初防衛戦では大いに苦しんだだけに、この日は汚名返上をファンも期待した。以前、このバラダレスとは敵地で引き分けており、
決着戦でもあった。ただし、この旧敵はあまりにも不甲斐ない。小林は油断は大敵とばかりに慎重にスタートした。バラダレスは初回から逃げ回った。王者のカウンターを警戒したのだろうか。挑戦者らしい攻めの姿勢に欠けた。
小林は後半の10,12回に右フックでダウンを奪う。しかし、すっかり逃げ腰の相手を追い詰めきれない。また、ここにきてもバラダレスにはまったく勝つ意欲が見られない。ときには背を見せて逃げ出す始末だった。判定は大差で小林。3人の審判とも小林にフルマークをつけていた。この試合では挑戦者の資質が問題となった。やはり世界戦という舞台に立つからにはそれ相応の実力は必要である。
WBC世界ジュニア・ライト級タイトルマッチ
日本犬学講堂[東京都]観衆◎7000人
1970年9月27日
★チャンピオン
沼田義明
(極東)58.9キロ
KO5回2分47秒
★挑戦者7位
ラウル・ロハス
(アメリカ)58.9キロ
レフェリー
手崎弘行(JPN)
沼田
42勝(12KO)6敗3分
初防衛
ロハス
38勝(24KO)6敗1分
〔沼田〕
森田 (JPN)・・・3 |18
羽後 (JPN)・・・3 |18
手崎 (JPN)・・・3 |18
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
手崎 (JPN)・34・ |17
羽後 (JPN)・44・ |18
森田 (JPN)・44・ |18
〔ロハス〕
史上に輝く逆転K0劇
軌念の右アッパーで初防衛
3年前に王座に就くも防衛の夢が叶わなかった沼田が、2度目のチャンスで初防衛を果たした。しかもそれは、この年の年間最優秀試合に選ばれるほどの劇的な逆転KO勝利だった。初回、元フェザー級王者ロハスの左フック、右クロスがヒット。手数が多く、王者を追って離さない。2回、右を振ったロハスがバランスを崩したところに、沼田が右アッパーを放ち先制のダウンを奪うが、3回からは怒りの形相で徹底的に攻めるロハスのぺ一ス。
4回後半には執拗なボディ攻撃を受け、肘でカバーしていた沼田もついに右フックを食らってダウン。5回、沼田は積極的に出ていくがロハスも負けてはいない。ガンガン打ってくる。王者が打ち返して中央に出たところで、右クロスがロハスの顎にヒット。一気に連打を畳みかけ、最後は右アッパーで挑戦者を深々とキャンバスに沈めた。
WBC世界ジュニア・ライト級タイトルマッチ
目本大学講堂[東京都]観衆◎1万2000人
1974年10月3日
★チャンピオン
柴田国明
(BVD)58.9キロ
KO15回2分29秒
★挑戦者2位
ラミロ・ボラニョス
(エクサドル)58.2キロ
レフェリー
アンセルモ・スコベド・ペレス
(MEX)
柴田
43勝(25KO)5敗3分
2度目の防衛
ボラニョス
52勝4敗
〔柴田〕
佐々木 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|140
羽後 (JPN)・・・・・・・・・・・・・・・|140
ペレス (MEX)・・9・・9・・・・・・・・・|138
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ペレス (MEX)98・9・・9999・999 |129
羽後 (JPN)96・9・・99・・・999 |129
佐々木 (JPN)96・・・989・・・899 |127
〔ボラニョス〕
最終回にメッタ打ち
“南米のクレイ”を倒しV2
柴田が2度目の防衛戦の相手として迎えたのは“南米のカシアス・クレイ”を自称する強敵ボラニョス。苦戦の予想を覆し、柴田は積極的な試合を展開した。初回から右ストレートをヒット。ボラニョスにクレイ並みのフットワークがないことも、左を打つときに極端にガードが下がることも見抜き、右クロスを攻略のキーとした。2回にこのパンチをきっかけとする連打でボラニョスをノックダウン。右目がふさがった挑戦者は、それでも柴田のパンチを受けながら前進をやめず、重そうなフックを振って王者を追う。
7回には壮絶な打撃戦となり、両者棒立ちになるシーンも。しかし、常に白分の距離を保ち主導権を握っていた柴田が、最終回に左右の連打で両目がふさがったタフなエクアドル人を棒立ちにさせ、レフェリー・ストップを呼びこんだ。
WBA世界ジュニア・ライト級タイトルマリチ
ジョー・ノレス・アリーナ[米国デトロイト]観衆◎2万人
1980年8月2日
★挑戦者1位
上原康恒
(協栄)58.8キロ
KO6回2分59秒
★チャンピオン
サムエル・セラノ
(プエルトリコ)58.9キロ
レフェリー
ルイス・スルバラン(VEN)
上原
26勝(21KO)4敗
タイトル獲得
セラノ
42勝(14KO)3敗1分
〔上原〕
バーグ (USA) |45
リーダーマン (USA) |45
スルバラン (VEN) |45
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
スルバラン (VEN) |50
リーダーマン (USA) |50
バーグ (USA) |50
〔セラノ〕
痛快、逆転ワンパンチK0
“沖縄の星”が世界の頂点に
本場・米国のリングで見せた、上原の胸のすくようなKO奪取だった。ここまで10度の防衛に成功しているセラノに対し、上原は6年ぶり2度目の世界挑戦。試合前の予想は8-2でセラノ有利というもので、上原には荷が重い相手に見えた。下馬評通り、5回まではセラノが長いリーチを巧みに使った左右のパンチでポイントを確実に積み重ねていく。
5回終了後のインターバルで、大差のリードを奪われていることを認識していた金平正紀会長の「お前の好きにやってみろ」という言葉で上原は吹っ切れた。この試合、日本人の応援は極めて少なかったが、逆にプレッシャーのない上原はこれをきっかけに大胆な攻撃を仕掛ける。力強くステップインし、セラノがロープを背にすると、間髪いれずに上原は鋭い左フックを一閃。続いて放った右フックで、セラノの長身が一一瞬にして崩れ落ちた。
WBA世界スーパー・フェザー級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎8500人
1998年9月5日
レフェリー
ミッチ・ハルパーン(USA)
畑山
22勝(17KO)1分
タイトル獲得
崔
24勝(14KO)3敗1分
★挑戦者2位
畑山隆則
(横浜光)58.9キロ
判定
★チャンピオン
崔 龍洙
(韓国)58.9キロ
〔畑山〕
マルドナド (USA)・99・・・・9・・9・|116
ブラヤドサブ (PHI)999・・・999・・・|114
メイヤース (PAN)9・9・・・・99・・・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メイヤース (PAN)・9・・999・・999|113
ブラヤドサブ (PHI)・・・999・・・999|114
マルドナド (USA)・・・9999・・999|113
〔崔〕
*崔は11回ローブローで減点1
宿敵に雪辱
頭脳的な戦いで王座へ
11ヵ月前、両者は激しい打撃戦を展開した末、1-1の引き分けで王者がタイトルを守っている。これが8度目の防衛戦となる崔は、立ち上がりから積極的に左右フック、アッパーを振って攻めて出た。対する畑山はこれを迎え撃ち、右アッパーや右ストレートをヒット。前回同様、ショートレンジでの一進一退の打ち合いが展開された。
中盤に入ると、畑山はフットワークで崔のプレッシャーをかわしながら、左右ストレートを決めていく。接近を許したときには、すかさず右アッパーを突き上げた。こうして徐々に流れは畑山に傾いていく。前半のハイペースが影響しているのか、崔は失速。畑山
が圧力をかけたり、誘い込んでは打ったりと、着実にヒットを重ねていった。11回にはローブローで崔が1ポイントの減点。最終回、畑山は猛然とラッシュして試合を終えた。
WBA世界スーパー・フェザー級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎6000人
1999年6月27日
★挑戦者1位
ラクバ・シン
(モンゴル)58.9キロ
TKO5回1分46秒
★チャンピオン
畑山隆則
(横浜光)58.9キロ
レフェリー
スタンリー・クリストドルー
(RSA)
ラクバ
11勝(10KO)1敗1分
タイトル獲得
畑山
22勝(17KO)1敗2分
〔ラクバ〕
ミルハム (AUS)99・・ |38
ペレス (PAN)・9・・ |39
タパット (USA)・99・ |38
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
タパット (USA)9・・9 |38
ペレス (PAN)・・99 |38
ミルハム (AUS)・・・9 |39
〔畑山〕
4回までは互角ながら
壮絶TK0で陥落
畑山が壮絶なTKO負けを喫し、2度目の防衛に失敗したが、4回までの戦いはほぼ互角といえただろう。開始から畑山がスピーディーなジャブを繰り出し、アウトボクシングに徹した。2回には王者の左右がいい感じでヒット。3回にも畑山の右クロスでラクバがよろけるが、この回後半から指名挑戦者の分厚い攻撃が勝り始める。さらに4回になるとラクバが重いボディブローと右クロスを決め、試合のムードが少し変わりだした。そして5回、畑山のリターン・ジャブに合わせるようにして放たれた、ラクバの右クロスで王者は痛烈なダウン。よく立ち上がり、カウントアウト寸前で再開に応じたが、ダメージは深い。ラクバの猛攻で王者はロープに押し込まれ、パワフルな追撃打を何度も食う。畑山がラクバのラッシュを30秒ほど浴び続けたところで、ようやくストップがかかった。
WBA世界ライト級タイトルマッチ(15回戦)
ヌエボ・パナマ・ジム[パナマ・パナマシティ]観衆◎1万6000人
1973年9月8日
★チャンピオン
ロベルト・デュラン
(パナマ)61.2キロ
KO10回2分10秒
★挑戦者7位
鈴木石松
(ヨネクラ)61.8キロ
レフェリー
ニカシオ・L・ドレイク(USA)
デュラン
39勝(31KO)1敗
3度目の防衛
鈴木
25勝(13KO)11敗5分
見せつけられた魔神の強さ
若き日の伝説の拳豪に完敗
70年のラグナ戦に続き、挑戦者としてパナマを再訪した鈴木。悲願のタイトル奪取は、デュランの猛攻の前についに叶わなかった。動きが硬く、パンチが出ない鈴木とは対照的に、デュランは初回から多彩な攻撃で鈴木を攻めつける。左を殺された鈴木は4回、5回とロープに詰められては王者の左ジャブ、ストレート、ワンツーにさらされる。7回になってようやく右が出たが、フォローパンチはない。9回、ボディを攻められた鈴木は最初のダウン。さらにデュランはワンツーで2度目のダウンを奪うと、続く10回に一気に勝負に出る。左右のフックで鈴木を2度ダウンさせ、フィニッシュ・ブローの右フックをストマックに叩き込み、鈴木をキャンバスヘと深く沈めた。合計5度のダウンを喫した鈴木もよく耐えたが、それよりもデュランの多彩で精力的な攻撃が光った一戦だった。
WBC世界ライト級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎7000人
1974年4月11日
★挑戦者7位
ガッツ石松
(BVD)61.2キロ
KO8回2分12秒
★チャンピオン
ロドルファ・ゴンザレス
(メキシコ)61.0キロ
レフェリー
ラリー・ロザディラ(USA)
石松
27勝(15KO)11敗5分
タイトル獲得
ゴンサレス
59勝(49KO)6敗1分
〔石松〕
ジョーダン (USA)4・・・3・4 |31
佐々木 (JPN)・・4・4・・ |33
ロザディラ (USA)・・4・4・4 |32
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ロザディラ (USA)4・・・44・ |32
佐々木 (JPN)44・・・4・ |32
ジョーダン (USA)・4・4・・・ |33
〔ゴンザレス〕
*石松は5回にホールディングで減点1
8回に“幻の右”が炸裂
3度目の正直で世界の頂点に
石松が“幻の右”を安定王者に炸裂させ、絶対不利の予想を見事に覆した。そして、3度目のチャレンジで悲願の世界王座をついに奪取した。左ボディ・フックを得意とするゴンサレスは初回から石松の腹を攻める。右クロスを顎に受けてグラついた石松は、3回にもボディを連打されて足が止まってしまう。
しかし、この日の挑戦者はデュランにKOされた“鈴木石松”ではなくまさに“ガッツ石松”だった。4回から石松の左ジャブ、フックがヒットするようになり、ゴンサレスーの突進は次第にぺ一スダウン。8回、石松は左フックで王者の顎をカウンターし、すかさず右をフォローしてダウンを奪う。疑惑のロング・カウントの後、立ち上がった王者はタメ一ジが大きく、再びキャンバスヘ落ち、レフェリーに助け起こされた。そんな相手に石松はラッシュ。一気にKOした。
WBC世界ライト級タイトルマッチ
東京体育館[東京都]観衆◎9000人
1975年2月17日
★チャンピオン
ガッツ石松
(BVD)61.2キロ
判定
★挑戦者1位
ケン・ブキャナン
(英国)60.6キロ
レフェリー
ディック・ヤング(USA)
石松
29勝(16KO)11敗6分
3度目の防衛
ブキャナン
56勝(26KO)3敗
〔石松〕
海老根 (JPN)・・・・・・・・・9・・・・・|149
ギブス (GBR)9・・・・999・9・・・・・|145
ヤング (USA)9・・9・・99・99・・・・|144
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
ヤング (USA)・99・99・・・・・9999|142
ギブス (GBR)・・99・・・・9・・98・・|144
海老根 (JPN)・99・9・・・9・・88・9|141
〔ブキャナン〕
正統派テクニシャンを
持ち前の喧曄殺法で粉砕
当代きっての技巧派といわれた元王者を相手に迎えた石松の3度目の防衛戦。子供時代からオーソドックスなボクシングを教えられたスコットランドの騎士に、日本の股旅王者(石松の入場スタイルは縞のカッパに三度笠)はセオリー無視の喧嘩殺法で襲いかかり、明白な勝利を収めた。
初回こそ挑戦者の鋭い左に動きがとれなかった石松だが、2回にはスウェーバックでその左を外し、すかさず右をヒット。教科書通りのブキャナンの左ジャプはその後も石松の顔面によく突き刺さったが、追撃はない。一説によるとロベルト・デュラン戦で顎を壊してしまい、最後まで右ガードを外せなかったという。13回、石松の右で挑戦者が倒れたのをレフェリーがスリップとしたところから、石松が喧嘩殺法を展開。ブキャナンの端正なボクシングを崩し、石松が判定勝ちを収めた。
WBC世界ライト級タイトルマッチ
日本大学講堂[東京都]観衆◎1万2000人
1975年12月4日
★チャンピオン
ガッツ石松
(BVD)61.2キロ
KO14回2分59秒
★挑戦者8位
アルバロ・ロハス
(コスタリカ)61.2キロ
レフェリー
吉田勇作(JPN)
石松
31脇(17KO)11敗6分
5度目の防衛
ロハス
42勝(20KO)7敗
〔石松〕
島川 (JPN)・・・・9・・・・・・9・|128
羽後 (JPN)・・・・99・・・・・9・|127
吉田 (JPN)・・・・9・・・・・・9・|128
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
吉田 (JPN)・9・8・・・9・8・・・|124
羽後 (JPN)・9・9・・・9・8・・・|125
島川 (JPN)・8・8・・・8・7・・・|121
〔ロハス〕
積極的な挑戦者に苦戦も
右カウンタの一閃で終幕
初回、グローブを合わせにいった石松に、中米の単調なファイター、ロハスは右ストレ
ートを放ち、打って出た。リードブロー中心
;二じっくりと様子をうかがう石松に対し、ロハスはその後もグングンと攻め続ける。ボディブロー、顔面へのフックで迫るロハスはミスブローも多いが、手を休めることがない。そして6回には、そんな挑戦者の左ボディブロー、左ストレートを浴びて、チャンピオンは苦境に陥った。
石松は10回、右カウンターから左右フックを畳みかけた。だがロハスも必死のクリンチでしのぎ、我慢比べの消耗戦を展開。石松はズルズルとラウンドを重ねていった。
幕切れは突然だった。14回、ロハスが左を出したところに、石松の右アッパーが一閃。キャンバスに仰向けに倒れたロハスは、起き上がることができなかった。
WBA世界ライト級タイトルマッチ
有明コロシアム[東京都]観衆◎7000人
2000年6月11日
★挑戦者10位
畑山隆則
(横浜光)61.2キロ
KO8回2分30秒
★チャンピオン
ヒルベルト・セラノ
(ベネズエラ)61.2キロ
レフェリー
アルマンド・ガルシア
(USA)
畑山
23勝(18KO)1敗2分
タイトル獲得
セラノ
20勝(17KO)5敗1分
〔畑山〕
タバット (USA)9999・・・ |66
ペレス (PAN)・999・9・ |66
メロネン (FIN)9999・・・ |66
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メロネン (FIN)・・・・8・8 |66
ペレス (PAN)9・・・8・8 |65
タバット (USA)・・・・898 |65
〔セラノ〕
再起戦で2階級制覇
鮮やかに偉業成す
スーパー・フェザー級の王座を失って以来350日ぶり。しかも初のライト級戦となる畑山だが、仕上がりは万全だった。初回からワンツーを決めてセラノをコーナーに追い込み、右クロスを狙う。2回以降はセラノが左でポイントを奪うが、そこでも挑戦者が的確な守りを見せた。そして、王者の疲れが感じられるようになった5回に、畑山が満を持して攻勢に出る。右アッパーで王者をたじろがせ、ショートで畳みかけて最初のダウンを演出する。さらに7回にも畑山の右でセラノがダウン18回になると左フックを受けた王者が、またしてもフロアに落ちる。今度もセラノは立ってきたが、畑山はここを逃さなかった。上下への迫撃でこの回2度目のダウンを奪い、続いて左からの右ストレートをヒット。セラノが膝から崩れ、3ノックダウン・ルールに従って主審がKOを宣言した。
WBA世界ライト級タイトルマッチ
横浜アリーナ[神奈川県]観衆◎1万6000人
2000年10月11日
★チャンピオン
畑山隆則
(横浜光)61.2キロ
KO10回0分18秒
★挑戦者15位
坂本博之
(角海老宝石)61.2キロ
レフェリー
内田正一(JPN)
畑山
24勝(19KO)1敗2分
初防衛
坂本
35勝(25KO)5敗
〔畑山〕
コバ (VEN)9・・9・9・・・ |87
プラヤドサブ(THA)9・・・・9・・・ |88
森田 (JPN)9・・・・9・・・ |88
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
森田 (JPN)・9・99・999 |84
プラヤドサブ(THA)・99・9・999 |84
コバ (VEN)・99・9・・99 |85
〔坂本〕
壮絶な打撃戦
注目の結末は鮮烈K0
ファン垂涎の日本人対決は、期待通りの壮絶な打ち合いとなった。開始から坂本がパワフルなボディブローを放ち続けるが、王者の畑山がスピーディーな左フックで応戦。初回、中盤に早くも坂本が左目上をカットする。2回も坂本が迫力流点のボディ攻撃を見せるが、畑山が巧みなブロックで被弾を最小限に抑え、逆に右クロス、アッパーを効果的に入れていく、そして、この序盤戦でぺ一スを握った畑山が、以後の打撃戦を常に支配していた。4、5回にも王者の右がたびたびヒットし、そのたびに坂本がたじろぐ。8回には畑山の右が4連打で命中。9回終盤になると右からの左フックで、タフな挑戦者がついにグロッギーに陥る。そして10回、畑山の左フック、右ストレートで坂本が痛なダウン。立ち上がろうと上体を起こしかけたところで、挑戦者コーナーからタオルが投入された。
WBA世界ライト級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万1000人
2001年2月17日
★チャンピオン
畑山隆則
(横浜光)61.2キロ
引き分け
★挑戦者3位
リック吉村
(石川)61.2キロ
レフェリー
森田健(JPN)
畑山
24勝(19KO)1敗3分
2度目の防衛
リック
38勝(20KO)3敗2分
〔畑山〕
アルゲリョ (NCA)・99・・999・9・・|114
コバ (VEN)9・999999・・・9|112
ボルメル (VEN)9・・・999・・・・・|116
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ボルメル (VEN)・999・・・98999|111
コバ (VEN)・9・・・・・・899・|115
アルゲリョ (NCA)9・・99・・・9・99|114
〔リック〕
予想は王者の圧倒的有利
冴えた挑戦者のポクシング
坂本博之とのライバル対決を制した充実のチャンピオンが圧倒的有利を予想される中、試合は意外な展開となった。駐留米軍兵、36歳の挑戦者リックは、日本王座を22度も防衛しながら待ち続けた舞台で、序盤から軽快な足さばき、伸びのいいジャブを披露する。畑山は2回に右クロス、4回に左で挑戦者をたじろがせた。が、リックの動きは鈍らず、王者はなおも米軍兵のリード、それに続く右ストレート、アッパーに苦しんだ。流れが変わりだすのは8回。疲労の色を見せ、ホールドを繰り返すようになったリックに、減点1が科せられた。同時に畑山がプレッシャーを強め、11回には猛ラッシュをかける。挑戦者をコーナーに追い込み、明確なポイントをゲット。最終回もチャンピオンの攻勢が上回り、ラスト・ゴングが鳴った。採点はドロー。畑山が際どくベルトを守った。
WBA世界ライト級タイトルマッチ
さいたまスーパーアリーナ[埼玉県]観衆◎2万人
2001年7月1日
★挑戦者1位
ジュリアン・ロルシー
(フランス)60.8キロ
判定
★チャンピオン
畑山隆則
(横浜光)61.2キロ
レフェリー
フリオ・セサール・アルバラード
(PAN)
ロルシー
49勝(35K0)2敗2分
タイトル獲得
畑山
24勝(19KO)2敗3分
〔ロルシー〕
タバット (USA)・・・9・・・・・9・・|118
クリストドルー(RSA)・9・・・・・99・・・|117
メロネン (FIN)・・・・9・・・・9・9|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
メロネン (FIN)9999・999・・9・|112
クリストドルー(RSA)9・99999・・999|111
タバット (USA)999・99999・99|110
〔畑山〕
最後まで政め続けた王者
クリーンヒットの差で陥落
畑山が初回から接近を試み、力ずくで前進し続ける。しかし、指名挑戦者のロルシー乱戦に巻き込むことはできなかった。ロルシ一が矢継ぎ早のジャブと多彩な右で王者に対抗。畑山のチャージを巧みにコントロールながら、前半のポイントを集めていく。2回には挑戦者が右アッパーを好打し、3回にもカウンターで畑山をグラつかせる。それでも畑山は手を出し続けたが、フランス人の堅い守りは崩れなかった。中盤を過ぎると、シーが疲れからやや失速。それと同時に畑山の左右が当たる場面も増えてくるが、ここからは挑戦者がクリンチとアウトボクシングで逃げ切り態勢に入る。終盤になっても畑山の勢いは落ちなかったが、ロルシーに逆転打を打ち込むチャンスは最後まで訪れなかった。ロルシーが明白な判定勝ちで2年ぶりに王座ヘ返り咲き、畑山は3度目の防衛に失敗。
WBC世界ジュニア・ウェルター級タイトルマッチ
近畿大学記念館[大阪府]観衆◎1万2000人
1983年7月7日
★チャンピオン
ブルース・カリー
(アメリカ)62.7キロ
TKO7回1分11秒
★挑戦者9位
赤井秀和
(三和ツダ)63.3キロ
レフェリー
オクタビオ・メイラン
(MEX)
カリー
33勝(17KO)7敗
初防衛
赤井
14勝(13KO)1敗
〔カリー〕
コール (USA)・・・・・・ |60
犬飼 (JPN)9・・・99 |57
ゲラ (MEX)9・・・・・ |59
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ゲラ (MEX)・・99・9 |57
犬飼 (JPN)・・・・・・ |60
コール (USA)9999・9 |55
〔赤井〕
浪遠のロッキーの奮聞も
世界の王座には届かず
関西のリングに一大旋風を巻き起こした“浪速のロッキー”赤井に、王座奪取の大きな期待がかかったが、世界王者には自慢の強打も通じなかった。母校・近畿大学のリングに上がった赤井は初回から勝負をかけた。右フック、アッパーを強振。しかし、初防衛戦の王者に猛攻をいなされ、逆に正確なパンチを浴びてダメージをため込んでいく。5回には気の強い赤井が強引に打ち合いを挑み、フラついた王者を押し倒してスリップさせる。6回、赤井は怒濤の連打で王者をロープまで叩き飛ばすが、クリンチでごまかされ逆に反撃される。7回、赤井はカリーの攻撃でグラつき、左右フックを受けてダウン。窮地に陥ってなお闘志を燃え上がらせる挑戦者は、立ち上がるとすぐにカリーに襲いかかる。しかし、カリーの左フックに顎を貫かれ、またしてもリングヘ崩れ落ちた。
WBC世界ジュニアーウェルター級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万人
1986年7月24日
★挑戦者6位
浜田剛史
(帝拳)63.3キロ
KO1回3分09秒
★チャンピオン
レネ・アルレドンド
(メキシコ)63.2キロ
レフェリー
スティーブ・クロッソン(USA)
浜田
20勝(19KO)1敗1NC
タイトル獲得
アルレドンド
39勝(35KO)3敗
〔浜田〕
カステラーノ(USA) |
バイナム (USA) |
ギブス (GBR) |
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ギブス (GBR) |
バイナム (USA) |
カステラーノ(USA) |
〔アルレドンド〕
電光石火の初回K0
待望のニュー・ヒーロー誕生
浜田が電光石火の王座奪取劇で、世界チャンピオン不在の日本ボクシング界を救った。KO率8割を超える豪打が、美男のメキシカン、アルレドンドを瞬時に粉砕したのだ。開始直後、サウスポーの浜田はいきなり左ストレートを放つ。4度も手術を重ねた左拳が、チャンピオンの胸にめり込んだ。すぐに前進。身長180センチのアルレドンドをロープに詰める。身長、リーチで10センチ劣る浜田の射程距離で、両者の打ち合いが始まった。
アルレドンドの攻撃を受けた浜田は、激しい連打を上下に振るう。強烈な右フックがカウンターとなり、王者の顎を吹き飛ばした。アルレドンドはキャンバスに膝をつくが、試合は続行。ここで浜田のラッシュは最高潮に達した。フィニッシュは左ストレートだった。ダウンしたアルレドンドの耳に10カウントが届かないほどの壮絶なKOだった。
WBC世界ジュニア・ウェルター級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万人
1986年12月2日
★チャンピオン
浜田剛史
(帝拳)63.4キロ
判定
★挑戦者4位
ロニー・シールズ
(アメリカ)63.2キロ
レフェリー
アーサー・マーカンテ(USA)
浜田
21勝(19KO)1敗1NC
初防衛
シールス
25勝(19KO)5敗
〔浜田〕
ナダヤグ (PHI)・・・9・・9・・・99|116
ジェンキン (USA)9・・9・989・・89|111
バルナー (AUS)99・8・99・・9・・|113
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
バルナー (AUS)・・9・9・・・8・9・|115
ジェンキン (USA)・8898・・・78・・|108
ナダヤグ (PHI)999999・・89・・|111
〔ロニー・シールズ〕
噛み合わぬ攻防
技巧の挑戦者を2-1で撃退
左ファイターの浜田とアウトボクサーのシールズの攻防は意外に噛み合わず、ヤマ場のない試合になってしまった。アマで270戦、5階級制覇王者トーマス・ハーンズを破ったこともあるシールズの超一流のテクニックの前に、浜田はスタートから豪打を封じられた。一発がヒットしても、ラッシュをかける前に距離をとられてしまう。中盤に入り、浜田はラウンドごとにパターンを変えて攻める。シールズはジャブから右ストレートを放つが決定打は出ない。
6回に入ると浜田は右まぶたから出血し、そこをピンポイントで攻められるが、挑戦者の攻めが左のみに終始したのは、幸いだった。終盤も浜田はKO防衛宣言を現実にすべく全力でシールズを倒しにいく。挑戦者は最後まで打ち合いには応じず、2-1の判定で浜田が初防衛に成功した。
WBC世界ジュニア・ウェルター級タイトルマッチ
両国国技館[東京都]観衆◎1万人
1987年7月22日
★挑戦者1位
レネ・アルレドンド
(メキシコ)63.3キロ
TKO6回0分43秒
★チャンピオン
浜田剛史
(帝拳)63.3キロ
レフェリー
ジョー・コルテス(USA)
アルレドンド
41鱗(36KO)3敗
タイトル獲得
浜田
21勝(19KO)2敗1NC
〔アルレドンド〕
ギブス (GBR)・・9・・ |49
モレッティ (USA)・・9・・ |49
パイナム (USA)・・99・ |48
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
パイナム (USA)99・・9 |47
モレッティ (USA)9・・99 |47
ギブス (GBR)99・99 |46
〔浜田〕
6回に魔の左アッパー6連打
故障に泣き返り討ちならず
浜田2度目の防衛戦は前王者との1年ぶりの再戦。同時に六車卓也の敗退で日本唯一となったベルトを守りきる使命が重くのしかかる。さらに右膝の故障も気掛かりだった。初回からバランスを崩して2度スリップ・ダウンする王者に対し、挑戦者は軽快なフットワークで優位に立つ。2回、アルレドンドの左で浜田が右目上をカット。それでも浜田は前進し、この回後半には挑戦者をロープに詰め左ボディプロー、右フックを好打した。
3回にも浜田はボディブローを連発するが、巧みに回り込まれフォローを断たれる。以降は王者の流血が激しくなり、迎えた6回、左フックをヒットさせた挑戦者は左アッパーで王者をロープヘ飛ばし、顔面へ立て続けに左アッパー6発。浜田の体は前のめりに崩れ、両グローブがキャンバスにタッチ。ここでレフェーが割って入りストップをかけた。
WBA世界ジュニア・ウェルター級タイトルマッチ
エル・トレオ闘牛場[メキシコ・メキシコシティ]観衆◎1万6500人
1992年4月10日
★挑戦者1位
平仲明信
(沖縄)63.1キロ
TKO1回1分32秒
★チャンピオン
エドウィン・ロサリオ
(プエルトリコ)63.5キロ
レフェリー
エンゾ・モンテロ(VEN)
平仲
20勝(18KO)1敗
タイトル獲得
ロサリオ
37勝(32KO)5敗
〔平仲〕
ペレス (PAN) |
カラバノ (VEN) |
ロドリゲスSr (MEX) |
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
ロドリゲスSr (MEX) |
カラバノ (VEN) |
ペレス (PAN) |
〔ロサリオ〕
圧巻の92秒速攻劇で
「沖縄から世界へ」を実現
世界初挑戦での不運な王座獲得失敗から3年。コッジからロレト・ガルサを経てロサリオヘ移った王座を奪うべく、平仲がメキシコのリングヘ乗り込み、わずか92秒でタイトル奪取に成功した。痛快ともいえる劇的戴冠は一夜にして“沖縄の星”をボクシング史に刻んだ。試合開始のゴングと同時に青コーナーから飛び出す平仲。フックを振り回す王者に臆することなく前進し、ロープに詰めて左右フックを繰り出す。30秒過ぎ、左フックからチャンスをつかんだ挑戦者は、クリンチに逃げようとする王者に左右フックをねじ込み、左フックのカウンターで王者のバランスを崩すと荒々しく追撃。為す術もなく打たれていた王者はレフェリーのストップによって救出された。「沖縄から世界へ」の悲願を胸に苦難に耐え続けた獅子は、その豪打で文字通りタイトルをもぎ取ったのである。
WBA世界ジュニア・ミドル級タイトルマッチ
四日市市体育館[三重県]観衆◎6000人
1979年6月20日
★チャンピオン
工藤政志
(熊谷)69.7キロ
KO12回0分09秒
★挑戦者4位
マヌエル・ゴンザレス
(アルゼンチン)68.9キロ
レフェリー
スタンリー・クリストドルー(RSA)
工藤
23勝(12KO)
3度目の防衛
ゴンサレス
42勝(12KO)2敗4分
〔工藤〕
セリス (VEN)・・・9・9・99・・ |106
ボウサ (MEX)・・・・・9・・9・・ |108
クリストドルー(RSA)9・・・9・・・9・・ |107
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮
クリストドルー(RSA)・9・9・9・・・・9 |106
ボウサ (MEX)・・・9・・・・・・9 |108
セリス (VEN)・99・・・・・・・9 |107
〔ゴンザレス〕
我慢比ぺから抜け出し
タオル投入を呼ぴ込む
前戦の際どい判定を受けての再戦。工藤は誘うように左ガードを下げ、ゴンサレスのジャブの後に、思い切りよく右ストレートを返していく。接近してボディを攻めるゴンサレスも、徐々に調子を上げる。中盤戦はともに優勢のはっきりしない我慢比べが続いた。
9回、ゴンサレスは左アッパー、右ストレートをカウンターして抜け出しを図る。そして、10回も右ストレートを強打して連打につなげた。だが、工藤も右ストレート、ワンツー連打で猛然と反撃。そしてラウンド終了間際に、痛烈なカウンターの左を打ち込んだ。この一撃は11回が始まってもゴンサレスにダメージを残した。チャンスを迎えた工藤は、容赦なくワンツーで攻め立てて、フィニッシュヘの布石を打った。だが結局、ゴンサレス陣営は12回開始直後にタオルを投入。無用のダメージを負うことを避けて棄権した。
WBA世界ミドル級タイトルマッチ
後楽園ホール[東京都]観衆◎2500人
1995年12月19日
★挑戦者4位
竹原慎二
(沖)72.5キロ
判定
★チャンピオン
ホルヘ・カストロ
(アルゼンチン)72.5キロ
レフェリー
ミッチ・ハルパーン(USA)
竹原
24勝(18KO)
タイトル獲得
カストロ
98勝(68KO)5敗2分
〔竹原〕
ゴンザレス (PAN)・・・・99・9・・9・|116
ゴンザレス (CHI)・・・・・・・9・・・9|118
文 (KOR)・・・・9・・・・・99|117
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
文 (KOR)9989・9999・・・|111
ゴンザレス (CHI)9989・9・・99・・|112
ゴンザレス (PAN)998・・・・・99・・|114
〔カストロ〕
日本初の偉業を違成
伝統のミドル級の頂点へ
日本で初めてミドル級の世界王者に挑んだ竹原が、意外にも試合を先行していく。百戦錬磨のブルファイターとして鳴らすカストロの突進に対し、ガードを固めてワンツー、ボディブローと定石通りのボクシングで対抗。右を何度か決めて迎えた3回、左を王者のレバーへ食い込ませてダウンを奪う。4回は左右ロング・フックを浴びるが、足を使いながら倍以上のクリーンヒットで挽回する。
中盤戦を迎えると、カストロが積極的に得意の打撃戦を仕掛けた。竹原もタフに打ち返すが、王者の左フック、ショート・アッパーなどで8回には動きが鈍ってピンチに陥る。9回、竹原は再び足を使い、追い疲れた相手にボディブローを見舞った。10回には左フックを決めてロープヘ詰める。ラスト2回は王者に力負けした場面もあるが、果敢に打ち合って試合終了。竹原が快挙を成し遂げた。
統一世界ヘビー級タイトルマッチ
東京ドーム[東京都]観衆◎5万1000人
1988年3月21日
★チャンピオン
マイク・タイソン
(アメリカ)98.0キロ
KO2回2分54秒
★挑戦者WBA2位、WBC6位
トニー・タッブス
(アメリカ)108.0キロ
レフェリー
アーサー・マーカンテ(USA)
タイソン
34勝(30KO)
統一タイトル3度目の防衛
タッブス
25勝(16KO)2敗
〔タイソン〕
ロザディラ (USA)9 |9
森田 (JPN)・ |10
内田 (JPN)・ |10
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
内田 (JPN)9 |9
森田 (JPN)・ |10
ロザディラ (USA)・ |10
〔タッブス〕
15年ぶりのヘピー級選手権
若き鉄人が元王者を粉砕
日本で2度目の世界ヘビー級選手権は、完成したばかりの東京ドームで開催された。挑戦者も元WBA王者だが、ファンの注目はアイアン・マイクの強打だけだったろう。先制パンチはタッブスの左ジャブ。タイソンがボディを突くと、タッブスもボディを返すなど上々の滑り出し。初回半ば、王者の強烈な右フックがタッブスのテンプルを直撃。108キロの巨体は揺らいだが、何とか持ちこたえる。
2回1分半過ぎ、タイソンの右ボディブローから右アッパーのコンビネーションが挑戦者の顎を突き上げたのを機に戦況は一方的に。2分半過ぎ、タイソンは右フックを力いっぱいタッブスのボディに叩き込み、さらに右アッパーで顎を突き上げる。クリンチで危機を脱した挑戦者を待っていたのは王者の強烈な左フックによるフィニッシュ。22歳の王者がKO劇に費やした時間はわずか354秒だった。
統一世界ヘビー級タイトルマッチ
東京ドーム[東京都]観衆◎5万1600人
1990年2月11日
★挑戦者WBC3位、WBA4位
ジェームス・ダグラス
(アメリカ)104.8キロ
KO10回1分23秒
★チャンピオン
マイク・タイソン
(アメリカ)100.0キロ
〔ダグラス〕
ロザディラ (USA)・・・・・・・8・ |88
森田 (JPN)・・9・・・98・ |86
内田 (JPN)・・9・・9・8・ |86
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫
内田 (JPN)99・・9・・・9 |86
森田 (JPN)・9・・9・・・9 |87
ロザディラ (USA)999999・・8 |82
〔タイソン〕
レフェリー
オクタビオ・メイラン(MEX)
ダグラス
30勝(20KO)4敗1分
タイトル獲得
タイソン
37勝(33KO)1敗
東京ドームに定る衝撃
無敵の鉄腕王者が轟沈
88年の来日に続き“鉄人”マイク・タイソンが、チャレンジャーにジェームス・“バスター”・ダグラスを迎え日本のリングに登場。し
かし、結果はよもやの大番狂わせだった。初回から王者の動きは重かった。ミスブローを繰り返し、攻撃は直線的。ダグラスはこれを見越して左ジャブ、右クロス、左フック、右アッパーを好打。それでもタイソンは8回に鋭い右アッパーで挑戦者からダウンを奪う。
が、ダグラスは後に「長すぎた」と問題になるロング・カウントに助けられ試合再開。9回、大きなダメージを受けたはずのダグラスが猛攻。10回に右アッパーでタイソンの顎を跳ね上げ、左ストレートでとどめを刺し、鋼鉄の王者を撃沈したのだった。キャンバスに激突した勢いで口から飛び出したマウスピースを、何かにすがるように半分むき出しにくわえたままのタイソンの姿が印象的だった。